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2019年9月の記事

さみしさを自覚する

「母であること/子がいること」への
こだわりがとても根強くて

そうでない自分を卑下しがちで
どうしても抜けなかった

その根底にあったのは
さみしさ だった


自分がさみしさに翻弄されていることには
気づいていたけれど

子どもがいないせいでさみしいのだと
思っていたかったらしい

子どもがいれば
このさみしさがなくなるか
せめて共有ができるんじゃないかって
どこかで期待していたのだ

そんなわけないのに

そんなわけないことは
重々わかっているのに

下手に通じ合いやすければ
尚更、さみしさが際立つだけだと
とっくに味わっているくせに

我が子ならばもしや、と
一縷の望みを持っていたようだ


翻せばつまり
それだけ、さみしさがあるということ
さみしさを感じているということ

そのことに気づけてよかった。
そして、そんな望みを持ったまま
子どもを持つことがなくてよかった。

ゆきちゃんの魂はこの世界に存在する
全ての悲しみを心から抱きしめる術を
私に問うていたのです。

https://ameblo.jp/ranaki/entry-11393932180.html

 

この”さみしさ”こそが
どうやらその”術”なのだと
ふと、わかった。


さみしさとは
環境とか、与えられたものとかに
依るものではなく

ただ、さみしいだけ。

そしてそれは
やさしさや思いやりのタネになる。


いのちが、かたちをもって、
この世界に存在していること。

それだけで尊さに泣けてくるのは
それがどれほどのしんどさを併せ持つのか
身をもってわかるから。
 

さみしさは、その実感と、表裏一体なのだ。


 

自己認識の書き換えと移行

8月末あたりから
自分の「持ち物」や
その「位置付け」が
変わってきている

かかっていたバイアスが
ボロボロ剥がれていく

良い・悪い
できる・できない
立派・しょぼい
多数派・少数派
玄人・素人
くるくると反転していく

今もって「自分のもの」だと
信じていたかった機能や肩書きが
すでに衰えていて
代替わりしていることを認め

一方で、見えていなかった
今の自分が手にしている持ち物や機能に
可能性の光があたり始めている
(使い方はまだイマイチわからない)

次のステージに
片足入っていたのに
後ろばかり見ていたかもしれない
前は霧が濃かったのかもしれない

移行期間が終わる
終えることを許す

後ろは任せとけ
そう言ってくれる人が現れて
やっと、安心できたのか

次の持ち場へシフトする


さよなら敗北者

学生の頃から
どこかでずーっと
敗北者の気分を抱えてきた

ふと、もう、
手放そうと思った

かつて「理想」に届かなかったのは事実

けれども、そのあと
いくつも夢を叶えて
しかも、今も、こうして生きてる
かなり呑気に、暮らせている

もう、いいんじゃないかな
いくつかの敗北にこだわり続けて
いつでもすぐに取り出せる
免罪符みたいに抱えてなくても
もう、いいんじゃないかな

ちゃんと頑張ってきたし
ちゃんと頑張ってることは
自分だって、知っていることで
それを頑なに認めていないだけ

敗北者として
小さくなって生きることに
メリットもあったんだろうけれどね

この足枷を、外してしまおう

なんども外したり外れたり
外してもらったりしては
また丁寧に付け直してきた

この足枷なしで、歩いてみよう

没頭と適応

「没頭」を避けて生きてきた

完全には避けられていなかったとは思う
小説やドラマに浸ることはあったが

母や妹のように
ファンタジー世界や手仕事に
のめり込むことはなかった

そして小説やドラマすらものちに
避けるようになった

その分、酒(酔い)に
頼っているかもしれない


君のようなタイプは
絵を描くなり
文を書くなり
自分の世界を構築して
そこに逃げ込むことで
生き延びるのが普通なのに

オットにそう言われ
ナルホドと思ったが

わたしはいつも
適応することで生き延びてきた

ひたすら自分を責めながら
ひたすら適応に努めた

そして崩壊した


没頭が嫌いなわけではない
好きすぎるから
出てきたくないから
没頭したくないだけ
酒なら、醒めれば戻るから

猫のように
いつだって
耳をそばだてて生きてきた

そんな生き方は長く続かない
酒は、言い訳にちょうどよかった

でも、そのやり方も、もう限界なんだなあ










出る

アメブロの補足を、いつかの自分のために。

理想がわからないまま決めて動きだす

https://ameblo.jp/kujirararan/entry-12522728089.html

 

もういいかげん
うんざりなのだ

酒に酔って誤魔化すには
人生は長すぎる

山歩きもハンモックヨガも
一時しのぎにしかならない

やりたいことは特にない

いや、来年春から
資格取得のため
通信制の学校に入ろうとは思っているが
それまでの半年に、もう耐えられない

それと絡む内容で
月末に受ける予定にしている
研修までも、耐えられない

これは引っ越しの時と同じだ

どこを目指せばいいのかわからなくても
とにかく
ここから出る。と決めるのが先なんだ

ここ、とはどこか。
物理的・現実的・具体的な場所ではない
いまいる、ずっと出られずにいる、ぬるま湯な環境のこと

衣食住が保証され
行動の自由もある
絶対的に護られたかのような
この環境は
「生き抜くため」に選んできた

なぜそうまでして
生き抜くことにこだわってきたのか…
いくつか思い当たりもあるが
それはここではどうでもいい

嫌いじゃない
感謝もある
それでも、もう、出るのだ

平穏無事より
ダイナミックを選ぶ

その自由すらも
与えられているから

 

 

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