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2019年11月の記事

お金とセクシャリティ

日本大百科全書(ニッポニカ) - セクシュアリティの用語解説 -
狭義の性行為だけでなく、性と欲望にかかわる人間の活動全般を指す語



セクシャリティというのは
性的なことに限らない
生命のもつ根源的なちから
というように
自分の中で、定義していて

例えば赤ん坊だとか
猫だとか
見ていて飽きない存在
そばに居るだけで
活性したり、息が深くなったりする
それこそがセクシャリティのちからだろうと


セクシャリティに縁が深いのは金星で
金運もセットで語られることが多い

それはそうだろう、と
納得しているのだが
いざ説明しようと思うと難しい


じぶんの心臓が
今、動いているのは
「私」の意志ではない

もしも食いっぱぐれて
生命が危機に晒されるのなら
それは寿命の一種なんだろう


お金がなくちゃ生きていけない
というのは、まったくもって真実ではなく
一面でしかないということ

働かなければ
お金を得られないというのも
まったくもって真実ではない


セクシャリティ。性と欲望 。
欲とお金もよくセットにされるけれど
実際のところ、お金によって何を得たいのか?

快楽。よろこび。安心。

セクシャリティは
クリエイティビティとも
深く繋がっていると感じる。

欲を満たすべく
何かをつくりだす。
現実化する。


欲を、健全に、捉えること。

生きたい
たのしく生きたい
気持ちよく生きたい

お金が欲しいって、ただそれだけのこと。

お金じゃなくて
欲の方をちゃんと見る

何が出来るのか?
問いかけて、動く。つくる。


スタートは
心臓が動いているのは
「私」の意志ではないこと

与えられたものを、享受するだけなんだ。


出来事と痛み

起きた出来事に対して衝撃を受け、
痛み、惑い、嘆くことと、
その出来事を問題視するのは、べつの話。

感じたことはそのままに、ただケアをする。

現実を変えようと躍起になる必要はない
ましてや自分を正そうとなどしなくていい
そのまえにケア。手当てが先。



夕方、ヨガが終わったあと
なんだかしょんぼりしていて
集中的に指導されたせいだと思ってたけれど
たぶんそうではなく

朝から映画みたり
バタバタ昼たべたりしてた
身体が、ほぐれてゆるんだせい。



こういう出来事があったから
しょんぼりしているのだ。と思ってると、
酒やらコーヒーやらでなんとかしたくなる。
奮起のためのなぐさめ。

これはただ、しょんぼりした気持ちを
感じやすい身体状態なだけ、と思えば
あっためるなりぼんやり休むなりで良い。
しょんぼりしたまま過ごせばいい。



曇天の夕方は気持ちが落ちやすい。
しかも空腹。
やりたいことやるためとはいえ
朝からバタバタずっと
せわしなかったことに気づく。
そういや猫もなんだかとっちらかっていた。


とかく、いろんなことに気づき
つまり傷つき、痛み、嘆きがちな
自分の性質をないがしろにしていたら

そりゃあ、人生嫌にもなる。
しょっちゅうなるのも、道理である。

身体が丈夫だから
おろそかにしてきたけれど
もっと、もっと、ケアが必要なのだ。

酔いで誤魔化すのでなく
酒のエナジーを与えるのでもなく
手間ひまをかけることが必要なのだ。

いちいちいろんなことに引っかかり
いちいちメソメソしている自分に
きちんと、意識を向け
スペースを与えることが必要なのだ。


抑圧と緊張/アーリートラウマ

飲酒が止まらない日が多発している
さすがに身体がしんどい

ゆるむのが下手で
常にどこかで気が張っていて
それゆえに酔いたいのだろうと予想

しかし真にゆるむには
前段階として「しっかり緊張する」ことが必要で
よほどスムースにゆるめるのではないか

酒に酔えば心拍数はあがるので
身体的には「緊張」でもあり
手軽なジェットコースターみたいなものだ

物語に没頭するとか
しっかり運動するとか
以前よりは出来るようになったけれど
酒の手軽さにどうしても流される

酔っているときは
退屈がまぎれるのも大きい

退屈を否定しないこと
退屈を受け入れること
これまでにも何段階にもわたって
進めてきたことだけれど
もうひとつ、深めるタイミングなのだろう

ひさしぶりに
ホメオパシーレメディを取り出したら
Nat-m 200cが出てきた。
Amazonにあることに気づいて
そういえば、買った記憶はある
でも、未開封だった

せっかくなので時々のんでいるが
ふしぎな夢をみたり、
数年ぶりに穴追いをうけたり、
なんとなく、プロセスしている感がある

穴追いは数回うけると良いと
アドバイスもらったので
オットにやってもらう予定

毎回道場に行くのも骨だし
練習会ではゆるめる自信がないから
きっとそれで良いだろう

今後、子どもを含めたバーズ講座を
もっとやっていきたいと思っているので
その準備としても、必要なのだろう

友人の紹介で
河合隼雄先生の著作「子どもの宇宙」
読み始めたのも、偶然ではなさそう

子どもたちが内包する宇宙に
まっすぐ対峙したいのなら
わたしが内包する宇宙を
ないがしろにしたままでは出来ない

いつかの自分が切望していたものを
いまの自分が差し出すことができたとき
誰より己が癒されるのだ




仕事が速いと損なのか

入力作業にしろ単純作業にしろ
わたしは手が速い方で

それは集中力と
より早くするための工夫を
考え続けるスタンスによるもの


ちなみに単純作業を黙々と
何時間もやるのは無理だし

何時間も座ってたり
何時間もディスプレイ見てるのも
今となっては無理なので

これはあくまでも適性の話


さておき
仕事が速いことについては
長らく「損」だと思っていた

裁量労働制ならともかく
時給や固定時間で仕事している以上
人より仕事が速いことは
費用対効果が高いわけで

しかしそのことが評価され
時給や給与に反映されているとは
あまり感じることがなく

なんだか損だなあと
なんとなく思っていた

*評価というのは総合的なもので
持続力とか規律性とか
総合的な視点にたてば
そりゃ評価されないよね。
ということも理解はしているけれども

それでもやっぱり
なんだか理不尽な気がしていた


それなのに
いま、某協会の事務作業を
ときどきリモートで手伝っていて
時間単位で謝礼をいただいていて

つまり時給制であっても

ここでは、仕事の速さを
損だと思っていないのだった。

それどころか

速くてよかった
この協会の大事な財源が
この作業に必要以上に割かれなくてよかった

そんな風に思うのだ。
思った自分にびっくりした。

いっそ無償ボランティアでも
いいような気持ちなのだけれど
それはきっと長続きしないから
ありがたく謝礼を頂戴している

自分の力をどこに使うか
というのは
大事なんだなあと、改めて。

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