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2020年3月の記事

そう考えた方が気楽だから

新型コロナで
死生観があぶり出されている

昨日も書いたように
わたしは、生死というものは
ヒトがコントロールできるものではないと捉えている

たとえ予防や治療や警戒することで
生きながらえたように見えたとしても
本質的には、予定通りなのだろう

そもそも人類が滅亡したら
地球は元気になるのかもしれないし
滅亡したら困るのならば
一定数は生かされるのだろう

これは魂やスピリット的な視点なのかな

失いたくないもの、守りたいものが
あまりないこともあるのかな

大切な人が生を終えたら
そりゃあ悲しむだろう

自分が実際に肺炎で
苦しむようになったら
悔いるのかもしれない

人口が減って経済が崩壊して
食うに食えなくなったら
みっともなく騒ぐかもしれない

それはそれとして

自分が、家族が、みんなが
生きながらえることよりも

自分が、家族が、みんなが
『今この時』たのしく
健やかであることを重視したい

みんながこの考えであるべきとも思わないが
 いつかみんな死ぬよね
 方法は選べないよね
 でも今この時たのしいね
それくらいの方が気楽ではないか?
そう提案したくはある

他人の行動を見張って
死者を増やすつもりなのかと
目くじら立てる人も
政府の施策を嘆く人も
より良い世界を願っているのはわかる

わかるけれども、
それでは世界は変わらない

世界を変えるすべはただひとつ
自分自身を『快適に』すること

これまでの経験を踏まえても
そのことに確信があるから

ねえ、そうやって、ピリピリしてるの
ほんとうにたのしい?
ほんとうにこころよい?
そうでないなら、なぜそうしてるの??
ききたくなってしまう

なにかに怯えながら
なにかを恐れながら
生きるとはそういうものだと思いながら
それでも長生きしたい、ということ?

理解も共感もどうにも難しい




新型コロナに思うこと

もしかしてもう
ココログを書くことは
ないかもしれないと
思ったりもしていたのだが

これはやっぱり
ここに書こうと思う


新型コロナで

外出自粛を!!
自分は良くても
誰かにうつしてしまうかも
誰かを殺してしまうかも

もし身内がコロナで亡くなっても
死に目にも会えない
遺体にも会えない
葬儀どころか
火葬にも立ち会えず
隔離生活を強いられるかもしれない

なんて話を、見聞きしている。

それはたしかに
かなしくつらいことだろう
わたしだって出来れば避けたい

でもねえ

それ以上にわたしは
「身体には敵わない」と
観念してるんだ

いつ終わるのか
どう終わるのか
これは回避できるのか
それとも不可避なのか

身体は知っている、と感じる。

そこに、思考の入る余地はない。
下手に思考であれこれすれば
死期を早める可能性すらある。

そう思っているのだ。

選べるようで選べない
選べないようで選べる

人生ってそういうものかなって。


そしてね
意識が現実をつくるのだ。

宝くじが当たったら不幸になる
そう信じていれば、そりゃ不幸になる

というか、起きた出来事を
「不幸」と認識し
「不幸」と結論づける

そういうカラクリだ。
これはもう、経験上、確信がある。


今日、日向薬師の山を歩いていて感じたのは

ソレを‬
‪毒にするのか?‬
‪薬にするのか?‬

‪それは‬
‪それぞれの選択なのだ‬


ということ。
それに尽きる。

徒然。

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