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2020年5月の記事

内省してみた

ご縁の深い人たちに感じるモヤっと感

変わりたい変わらなきゃと言いながら
そっか!そうだよね!!と言いながら
何年もそのまま。なんどもそこに戻る

見かけると、なんともいえない気持ちになる…
けれども、つまりは、そんな自分が好きなんだろう

好きなら好きでいいのに
だれかの目を気にしたような
頑張ってるアピールいらないのに

そうやってアピールしたら構ってもらえた、
過去の成功パターンの繰り返しなのか。

ほしいものと、求めてるもののズレ。


というところから
じぶんの世界にコレが現れる意味を考えてみる。

ざわつくポイント、内省。
すると
役立ちたいなんとかしたい
変えたい自分が出てくる。

放置できない。
構って、をスルーしがたい。
赤ん坊を泣かせたままにするような罪悪感。

自分の無力さを刺激されているらしい。
自分の無力さをなげく人たちに刺激される無力感。

無力感の反対側にあるのは…
権力。だろうか

赤ん坊が泣いてる、と捉えて
なおかつそれを
自分の内側で起きていること、と思えば…
やるべきはセルフケア。

起きていることそのものにとらわれていると
本当のメッセージに気付けない例

あの人たちはメッセンジャーなのだ
ざわつかせるお役目。
ある種のエンジェル。

特定個人とおもうと情で動きたくなるが
役柄だとおもえば、感謝しかない

いい仕事してるね!
以上。

非人間的視点。

役柄である以上、ナニカが守護しているはずなので
わたしが出張ることはないのだ。

今のわたしのしごとは
守護ではない。
ガイドでもない。


かつてはそうだったのかもしれない
などと考えると
不思議なほど懐かれる傾向も納得がいくような



どっちが先だ

昼食のため
某うどんチェーン店に歩きながら

今日はなにを食べようかな
明太釜玉かな
ちがうな
でもピリ辛は欲しいな
新商品でてるかな

などと考えていたら
まんまと季節商品
坦々うどんがリリースされていて即決

今日はコロッケも並んでいて
これまた即決
(いつもならもう少し考えるのだが)

さらに父が残しそうだった
野菜かき揚げも少々もらい
よく食べた昼であった。満足。

帰り道

坦々うどんリリースを察知していたから
ピリ辛モードだったのか

それとも

ピリ辛モードだったから
坦々うどんリリースな現実をつくったのか

どっちなのだろうと考える。

どちらでもいいし
どちらもあり得るし
そのほかもあり得る

ふしぎなせかいだ。

 

人間耐性

宇宙的で
人間離れした
徹底的な客観視
はるか彼方からの俯瞰

自分すら駒のひとつとみなす

そんな視点を得たのは
ひとえに、矛盾に耐えられなかったから

言われたことを
言われた通りにやるとか

起きること
やることに
疑問を持たないとか

世の中にはそういうタイプの人間もいると
いまでこそ知っているが
いったいどういう精神構造なのか
おなじ人類とは思えない
というのが正直なところ
彼らは「人間」として生きる「耐性」が強いと言える

「人間」
人と人の間で定義されるもの

高校のとき小論文の模擬試験か何かで
そんなことを書いた記憶がある

他者がいてこその「人間」
つまり他者を重視することであり
ひいては自分を特別視することなのだろう

ゆえに、誹謗中傷などが起きるのだろう

自分と他者しかいない二極の世界

そこから見えるものは
さぞ窮屈だろう
しんどいだろうと思うのだが
耐性のある人々は
そこに疑問もないようだ

ふたご

双子座新月の時間帯に
催眠セッションを受けたのは
間違いなく、采配通り

ネイタルの双子座は8室
月と火星の合
2室海王星と180度
太陽・ASCとゆるくグラトラ

オットが中学の同級生で
火星が双子座・太陽魚座・月射手(12室)なのも
セッションのご縁も
『人間』を生きるための支え

絶対的な孤独と絶望の中
『人間の記憶』くらい
誰かと分かち合いたい

バイトに出かけるオットをみて
「はやくかえってきてねー」と
思い浮かんだ。インチャだろう。

子どもの頃、一時期は、
父に言っていたかもしれない。
まったく叶わないのでやめたけれど。

子ども心と男性性が
一緒に過ごすのが自然だと信じている
それを望んでいた

そしてそれを現実にしている

誰の望みなのか
誰が願ったのか
ここまでくるとどうでもいい
ただ、そうなるべくして、なっている

「起きることにあらがわず
起きることをそのままに」

催眠療法のコツとして伝えられたこと
やはり、これに尽きるのだ。今は。

置き去りのこども

父方の祖母は、満州から引き揚げるとき
下の子どもを現地の夫婦に託してきた。
祖父は満州のなかでも遠くにいて
祖母はその夫婦のところで
家政婦をしていたとか。
長女・長男・次男のうち
長男は栄養失調か何かで亡くなり
次男までそんな目に遭わせたくないと
教員で地位もありそれなりに裕福ながら
子どものいないその夫婦に託した。
夫婦は大事にその子を育て
立派に教員になっていた次男は
後年、残留孤児として帰国した。
祖母は恩義のある義両親の
墓のある場所にいるべきと
考えていたらしいが。さておき。
ついでに言えば
祖父はあとから満州を引き揚げ
祖母と合流してみたら
次男を置いてきたと知り
いささかの確執となったらしい。

催眠療法セッションで
ようやく統合した(はず)の
乳児インチャと
社会生活を送ってきた「わたし」の関係は
なるほどそこに現れていたのだなと
今朝になってふと合点した。

彼女を置き去りにしなければ
「わたし」はおそらく「普通」には育たなかった。
不登校も、特別支援も、発達障害も、
まだまだ一般的でなかったあの時代
「本来の目的」のためには
そこに障害を抱えるのは不都合だったし
彼女が健全に育つことも難しかったはず。
いやそもそも…生き延びたかどうかも怪しい。

「わたし」が無事に
「肉体」との付き合いに長け
「社会」との適切な関わりを習得し
第二の家族(オット)を含めた
安全で快適な環境を手に入れ
自我意識(記憶)をショートさせるほどに
安心できるようになった今だから
彼女を迎え入れることができた。
いまのわたしでなければ
天衣無縫な彼女を持て余しただろう。

わたしがアクセスバーズを受けて
意識オフになったことがあるのは
ひとりは終末期ペットケアを仕事にするひと
もうひとりは母子ケアに関わるひとだ。
後者はバーズを始めた初期のことで
セッションのほんの一部だったとはいえ
その後の数年、他の人では起きなかったので
とても印象に残っている。
つまり、わたしの潜在意識の警戒のつよさは
乳児インチャを護ろうとする意識だったわけだ。

彼女と統合してから
判断が早くなっている。
たとえば食べるものを選ぶとき
なにを求めているのか?
自分に問いかけても
わかりづらいことが多く
特にここ最近は
探し当てるのがかなり大変だった。

以前ならそこまでこだわらず
わからない時は適当にしていたが
セッション予約して以来だろうか
根気よく問い続けることが増えていたのは
彼女との距離が縮まっていたがゆえだったのか。

そして「わたし」がついに疲れ果て投げ出した時
オットがごはん担当をしてくれたのも
きっと大きな後押しだったのだろう。
「わたし」以外の養育者の存在。

予約からの1ヶ月はインチャによる
里親チェックのような期間だったのだな。

酒と乳児インチャ

SAM前世療法を受けてみた。

人づてに療法を知り、検索し、
このひとからなら受けてみたい。
そう感じて連絡をとり
(案の定、浅からぬ縁のある方だった)

調整のうえ1ヵ月の予約をしたら
それまでの準備がえぐかった。
飲酒、号泣など
このところブログに書いていたもの。

それらはやはりここにつながっていて
0~1歳のインチャが出たがっていたのだ。

それには以前からうすうす気づいていて
ここ3年くらいだろうか
飲酒量が一定を超えると
記憶がきれいさっぱりなくなるのも
こことつながっていたと思われる。

若い時分に酔って記憶がないのは
とぎれとぎれだったり
なにをしでかしただろう?!と
戦々恐々としたものだったが

近年のそれは記憶がないだけで
周囲(おもにオット)の話によれば
いつもの酔っぱらい時と
言動はあまり変わらないようなので
その点では安心。
しかし翌日以降に
身体が不調になるのはいい加減しんどく
そろそろ、なんとかしたいと思っていたのだ。

おそらく。ある程度の酒量・酩酊度を超えると
肉体としては眠りたいのだと思われる。
しかし意識としてはまだまだ遊びたかったり
やるべきとしていることがあったり
ひとり離脱するのがさみしかったりで
こどもがごはんを食べながら寝るかのように
脳の記憶領域(ハードディスク)への回路だけ閉じて
メモリだけで動いているような、そんな状態なのだろう。

意識がオフになった状態
潜在意識が優位な状態ならば
インチャが出られる可能性があったから。
(そして出たら号泣である。とにかく号泣)
(今回のセッションでもひたすら泣いていた)

この、乳児期のインチャの存在は
なんども浮上していて
これまでにもいろいろワークしたり
ヒーリングを受けたりしている。
それらを踏まえての
今回の統合だったのだと思う

催眠状態(潜在意識優位)で
インチャそのものと
筋反射で対話したうえでの統合。

セッション終了後、覚醒したあと
みぞおちの右、肝臓の端を
ずーーっと、ひたすら、刺激していた。
いつもなら相手への配慮だとかでやめるだろうが
いかんせん催眠後なので潜在意識=身体優位で
30分以上は揉んだり押したり。

インチャが出るための飲酒による
肝臓の影響への対処かのようだった。

インチャ統合後は
前世人格・高級霊・守護霊とも
筋反射で対話を試みて
なんというか

ああやっぱりそうですよね。
という内容だった。

今回もたらされた情報が
唯一無二の絶対的なものだと
捉えているわけではない。

ただ、いまの「わたし」に
もたらされるべき情報が
今回のそれだった、のだと思う。

これといって新鮮味のない
けれども、すくなくとも
じぶんひとりで得たのではなく
立ち会ってくれたひとのいる情報。
そして、潜在意識ダイレクトの情報。

虫講座のときもそうだったが
指に憑依させた存在のエナジーによって
指の感覚や、動き方が変わる。

それらを知覚するマインドはありながら
では身体を意識的に動かせるか?といえば
できないのだった(やってみたが)。

じぶんを騙すのがうますぎて
セルフキネシはまったくあてにならないし
他者キネシもよほどの信頼と安心がないと
信用にたる結果は得られないが

今回は、タイミング、相性、場所、諸々
かなり信用できる情報になったと思う。

ああああああそれにしても。
セッション後のおしゃべりで
じぶんで言って、納得。
乳児インチャを切り離していたからこそ
ギリギリ「ふつう」の社会生活が送れたのだ。

インチャは、わたし同様
「このせかいなんもたのしくない!」と言っていた。
インチャが切り離されてるから
たのしくなかったのではなくて
そもそも、「わたし」にとって
ここはたのしいことが少ないらしい。いまのところ。

「ふつう」のひとたちが
たのしんでいることを
あんなふうにはたのしめない。
そこに引け目や負い目を感じたこともあるが
もうこれは、こういう性質なのだな。
人間生活をたのしむことが目的ではないようだから。

年間予報によれば
ことし10月に、始まる。
表面化するのは来年2月以降だろう。
それがなんなのかはわからないが

それまで、この呑気な暮らしを
せいぜいたのしむとする。
飽き飽きしながら。

こまかい制限がポロポロ外れた

号泣&飲酒増の流れから
夕食担当を1日外れ
ひと段落・人心地ついたあたりから

日常に細かく課していた制限が
ポロポロ剥がれるように外れている感じ

無意識に近いところの
主に、食べるものとお金について

オットへの勝手な配慮だったり
無駄や後処理を省くために
いつしか習慣になっていたこと

本当に本当に細かいことだ
献立、品数、買うもの
優先順位だとか
自分の食事の時間と内容

いつの間にか
フィットしてなかったこと
不自由になっていたところ
選択肢から消えていたもの
思考停止して自動選択になっていたところ

人生が停滞しているような
暮らしに飽き飽きするような
そんなときは何か
変化の前触れなのだろうか

双子座新月。

やることがない

凝った料理に興味はない
変わった料理、自作するよりどこかで食べたい
時短のための作り置きは不要
味噌や梅干しも経験したから満足
パンやおやつ、甘いものや小麦あまり食べない

手芸・縫い物・工作、作りたいものがない
作ったあとの処分に困るのが目に見えてる

塗り絵・スケッチ、センスのなさにがっかりする
しかし保管場所を取らないのはいいことだ

読書、なかなかスイッチが入らない
語学、使う目的がないのでやる気がない
勉強、とりたてて学びたい分野がない

ジグソーパズル、意外とたのしいかな?
やってる間は場所をとるけど
壊すのも、しまうのも簡単

掃除・片付け、気が付いた時に
気の向くままやる分にはたのしい
窓の桟がちょっと気になっている


やりたいこと、たのしそうなことがないなあ
人生なにして過ごせばいいのかなあ
やはり行き着くのは畑なのか
などと考えていた
再配達待ちの昨日午前中

午後やっと買い物に行ったら
突然スイッチ入り
青じその苗を移植し
小梅の下処理から塩漬けの合間に
あれこれ茹でたり作り置きしたり
あっという間の半日

ファミサポからも保留案件の連絡がきた
動くと、動き始めるのだな


解放されて気が付く/未知の流入

号泣しまくってるのも
飲酒量が増えてるのも

どうにかしようとするでなく
原因を探るでもなく

どんな未来に引っ張られて
そんなことになっているんだろう?

どこへ流れようとしているんだろう?

そっちにキチっと照準をあわせたら
オットが数年ぶりに夕食をつくった

前の晩になぜかそんな話になって
そのときは蕎麦の予定だったけれど
昼に蕎麦を食べてしまったと連絡したら

献立を考えなおし
買い物に行き
産地や値段を考え
みごとな和定食ができた
味付けもばっちり

ワイン2杯も飲めば十分だった。

食べるものについて
ひいては、自分が求めているものについて
探って、考えて、決める。ということに
ほとほと疲れていたのだ

こういうのは、解放されて、気が付く。

ごはん担当でなかったおかげで
時間を気にせず、キリのいいところまで
仕事を進められたのも嬉しかった。

いつも、地味にストレスだったのだろう。

この現状は嫌だ。好ましくない。表明したら
あとは、サレンダー
すると、想定外の「解決」がやってくる

やはりなにごとも同じなのだなあ

抵抗をやめるだけ

過去のあれこれ
他人や自分や社会や権威に対する
恨みつらみ悲しみ怒り…焦りや恐れ…
 
そんな重たいエナジーを、この先には持っていけないところまで、きたのかもしれない。
 
重たいエナジーというのはつまり抵抗なのだ。
変化を嫌う思考のつくりだした重石。
 
そんなものをだいじに抱えていては、未知が入り込めない。
 
恨みつらみ悲しみ怒り焦り恐れ…
そんなもの誰がだいじにするもんかと言うなかれ
それらが自分を、自分たらしめてきたところもあるのだきっと
 
いっこいっこ紐解くまでもなく
ただ、まっさらを選ぶだけ

いのちの発露としての自己存在に立ち返るだけ。
言い訳はぜんぶなんの役にも立たない
もう並べ立てる必要はない

望みを明確に
そして、サレンダー

過去を棄てる/ディコーディング

FBでシェアされていた
こちらの動画をみて

いま、なにが起きているのか
ヒントをもらえたような

ディコーディング◇コードネームP◇特にHSPの人へ
https://youtu.be/5t_Yyc12cIo


メイコさんのいうディコーディングは
アクセスバーズで起きることと
かなり似ているとおもう

それを「意識的に」「自覚的に」
行うことができるのだと

それほどまでに
人類の「コンシャスネス」は
拡大し成熟したのだと

そう言っていると理解した

作業しながら聞いていたこともあり
受けとりそびれている部分もあるだろうが

現時点のわたしの理解(フィルター)


やはり次のステージが始まっているのだ

彼女のほかの動画もいくつか
やはり作業しながら聞いてみた

わたしがいますべきは
未来をつくること
定めること

もうこんなの嫌だ!
ならば、次へ動く
次をつくる
それだけ

号泣も、暴飲も
「過去」と戯れているがゆえ

97%をしめる潜在意識
そこからつながる集合意識

ディコーディングされたそれらが
亡霊のように呼び寄せる

付き合うも自由
棄て行くも自由
わたしが選ぶだけ

傷ついてきた自分も
呑まれやすい自分も
ぜんぶ、過去でしかない

ぴかぴかの
ほんとうに望むせかいは
わたしのなかにある

また挫折するかも
また打ちのめされるかも
そうだね
でもそれも幻想だ
ほんとうには傷つかない

どんなにこのせかいが
くだらなくおもえても

残念ないろいろが
現実のようにみえても

彼女のような
ぴかぴかの目で
せかいを見ることもできる

許可しますか?

なみだぶくろ

この数日、やたら泣いている
さめざめ泣いたり
声をあげて
わんわん泣いたり

きっかけはいろいろ
たぶん、ただ泣きたいのだ
いつか泣けなかった分を、いま泣いている

泣くようなことではないと
泣いている場合ではないと
泣かずにやり過ごしたあれこれ

酒量も増えていて
これまたつらい
当然、体調もよくない

先月から時々発生する
口囲皮膚炎も出ている

飲みすぎだから当然と
自罰的な気持ちが湧くが
そもそも飲まずにいられないナニカ
飲みすぎてしまうナニカがある

SAM前世療法を予約してるし
集合意識的なもの
天体運行、気候や気圧

他にも不調のひとを見かけるから
ぜんぶ数珠繋ぎのナニカだろうか

意思表明したら
あとは抗わずにいる
いつものスタンスでいるけれど
そろそろ愚痴のひとつもこぼしたい





 

いじめなど思いつきすらしない

ブータンの学校に行ったときに、女の子や男の子に「いじめはありますか?」と尋ねました。「いじめってどんなこと?」ということで「一人だけをのけものにしたり、ものを隠したり、ひどいことをみんなで言うこと」というと、ブータンの少年は不思議そうな顔で私に、「どうして、なんのためにそんなことをするの?」と聞きました。「そんなことをしたら、自分のことが好きになれない。好きになれなかったら、誰のことも幸せにできない。自分も幸せに生きれない。どうしてそんなことをするの?」と尋ねられました。そして、ブータンには泥棒がいないとガイドさんが言いました。どうして?と尋ねると「そんなことをしたら、自分が恥ずかしいでしょう。そしてそんな自分を誇れない」と。私たちも昔、「誰が見ていなくても、お天道さんがみておられる」と言いました。少年の言葉にもガイドさんの言葉にも涙が出ました。そして、泥棒やいじめがあっても当たり前のように思っている自分が恥ずかしくなりました。私も自分を好きでいたい。自分を誇りに思いたい。自分に恥じないことをしていきたいと思いました。

山元加津子さんFBより

 

泥棒やいじめがあっても当たり前”

当たり前ではなかった頃が
わたしにも あったなーと

きっと小学校に入る前とか

ところがそれが
”当たり前”なんだと
まざまざと知ることになり

疑いを覚え
意地悪を覚え
嘘を覚え
騙すことを覚え

それらを
たのしもう
たのしめなくては

そんな方向性で
受け容れたのだった

素直で
馬鹿正直で
融通がききすぎる性質


ブータンの少年のように
なんで?と
思いつきもしないまま

そんなひとがいると知らずに
生きていられたら
どんなによかっただろう

そんなひとがいること
それを当たり前とするのが
この世界だと知ったときの
自分を思うと
泣けてくる


”「そんなことをしたら、自分のことが好きになれない。好きになれなかったら、誰のことも幸せにできない。自分も幸せに生きれない。どうしてそんなことをするの?」”

”「そんなことをしたら、自分が恥ずかしいでしょう。そしてそんな自分を誇れない」
 ”

シンプルで最強な自分軸
自制、戒め、幸福の鍵

なぜそれが
わたしのいる世界では
まかり通らないのか
嘆きたくなり

自分のうちの悪魔の気配に
また嘆きたくなり

ヒトがヒトである以上
生殺与奪の快楽は
消えてなくならないとしても

ブータンのひとたちのように
霧散させながら生きることも
また可能ということ

世界は残酷にうつくしい

わたしのいる世界の
うつくしさを
観ていられますように

ミラクルは許容から始まる

自分の意に沿わない展開がやってきたとき
反発したり
関係者を説得したり
といった力の使い方をしないで

その展開を許容してみる

自分の意に沿わないとしても
そこにはなにか「ただしさ」があるかもしれない

ここでいう「ただしさ」は善悪や正誤でなく
「本来の自然なながれ」とか
「天の采配」のような意味合い

その展開こそがベターなのだと信じてみること

やってきたものと争わないで
起きたことを起きたままに
未知の可能性にひらいてみる

その「視点」が「未来をつくる」


ミラクル、奇跡は
想定の外からやってくるのだ

りきんで、力づくで、動かすのでなく
力を抜いて、受け容れてみる

その隙間にこそ
未知が入り込む


許容は、あきらめとは違う。

求めるところは表明する
ダメじゃなく嫌は言う

あとはリラックスして
流れに任せるんだ。



次なる望みは

いやだ
助けてくれ
生きさせてくれ

生きとし生けるものすべてが
まっとうできるように
どうか

・・・そう願うことを
わたしは
わたしに
許可できているのだろうか


超然とした
宇宙的な視点は
許可できるようになった

他者へシェアすることも
できるようになった

良いも悪いもなしに
そのままを許容する

結果、許容された側が
自己肯定感を高められる

それが、これまでの望みだったように思う
そして、おおむね実現できているようにも


次の望みはなんなのだろうと
ここしばらく漠然と考えている

それで、思い当たったのが冒頭

神と仏でいえば
仏側の視点

魂と心でいうなら、心
欲 ともいえるもの


「いざ地球が本気になれば
人間なんか簡単に駆逐できる」

そんなことを平然と言える
自分も気に入っているけれど
どうも片手落ちのような

痛み・苦しみ・哀しみを
魂視点から受容するのでなく
いまここにいながら、受容できるのか

ナイロン100℃『消失』観劇後
吐くほど泣いたのを思い出す

「肉体」「細胞」
無数のそれらが記憶する
膨大な量の「感情」が
時空を超えて一挙に
流れ込んできたようだった

先を急ぐべく
シナリオを進めるべく
ないことにされてきたエナジーたち

パンドラの匣があいたとき
わたしは、正気を保てるのか

これまでの数少ない経験では
気絶するように眠りに落ちること数回
例外は、飲酒してないときか。

いかんせん例が少なすぎて
あまり参考にならない


ヒトであることの葛藤から
逃げて逃げて逃げて
あまりに遠くまで逃げて
おかげで宇宙的な視点を得た

そこからならば
ヒトを許容できる

心理的ディスタンシングが
生きるために必要だった

その道中で置き去りにしたものが
いったいどれだけあるだろう

それらを回収しながら
宇宙レベルの距離を
縮めていけるのか
縮めることを望んでいるのか

問いかけておく

「日本」「日本人」の弱点と、シナリオの行方

アフリカ出身・京都精華大サコ学長 
コロナ問題でわかった「日本人のホンネ」 (1/4)
AERA dot. (アエラドット)
https://dot.asahi.com/dot/2020051100004.html


とても読み応えがあった。

経済、自治、教育、社会保障
諸国の対応や背景まで含めて
よくまとまっているし
「日本」「日本人」の弱点が網羅されてる感

そして、ぐうの音も出ない。

外に現れるのは内にあるもの
すべてに共通する法則の通り

現政権の脆弱さもやはり
自分たちの内側から始まっている

「ほかに誰かいないの??!!」では
遅かれ早かれ同じことになるのだろう

”罪のない者だけが石を投げよ”


それにしても
これだけのネガティブを集めまくってなお
どこか飄々としてみえる現・日本首相

よほど強力な「守護」があるのだろうか

みえる世界のソレはほんの一角
みえない世界からのバックアップはいかほどか

彼がここで撤退したら
日本人の他力本願な精神性では
瞬時に「元の木阿弥」なのは間違いない

「日本」の精神性を引き上げる目的ならば
なんとしても持ち堪える必要がある

昨日すべり込みで観たオペラ『紅天女』
大神様の依代である阿古夜

彼もなんらかの依代なのだろうか
そんなことを考えてみる
あれはとても、ひとひとりが背負えるものではない


このシナリオはどこへ向かっているのか
そこに自由意志はあるのか

「正しさ」とは
「正道」とは

神の意志
仏の愛

ヒトが持ちうる、ひとつの真

「わたし」は何を望む?

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