カテゴリー「コウノトリ」の記事

順番待ち

ひとつの方法

「わたし」を
あますところなく
分かち合いたい

という願いを
かなえる
ひとつの方法は
妊娠出産じゃなかろうか

文字通り
はらの底まで
バレてる相手
ってことだもんなあ

出産した瞬間から
現実レベルでは
理解しがたい関係性に
なるのかもしれないけれども

つながりの記憶
体感は
人生を一新するかもしれない

予定通り。

友人に話したことから
じぶんに適用させるならば

これだけ、身体を整え
みえない領域を癒し

それ目的ではないながら
子授け得意!という
セラピストたちにもご縁して

それでも、子のない今。

このテーマは頑として
動かないように見える。

つまり、そこには及ばないよう
設定してあるのかもしれない。


もともとわたしは
不妊を理由に
東洋医学に始まり
みえない世界に踏み込んだ

シンプルで強力なツールが
次々とあらわれてもなお
変わることのない現象。
すくなくとも表面的には。

飲酒量はまた増えているし
排卵テスターも適当だし
そもそも気まぐれ優先だし
不妊クリニックの予約開始は忘れるし

達成まで続ける、ということから
どうしても逃げている。
ツメが甘い。まあいいか、となる。


そんなわたしが、
○○になったら。
○○出来るようになったら。
そう考えてしまう罠。

そうではない。
わたしのままでいい。
不完全なわたしでいい。
条件ではない。

そして、達成のために
引き換えのように
なにか為していくのも違う。

得られるっていうから、そうしたのに。
などという条件意識は要らない。
あてにしないこと。
ひたすら、イマココであること。

そしてそれすらも
どうでもいいはずだ。
あらゆる条件は結果論。

未来の子のせい
オットのせい
じぶんのせい
巧妙に言い訳している。
被害者になろうとする。
こればかりは受け身で、如何とも出来ないと。

例外はない。
治外法権はつくらない。
つくらずとも良い。

すべて予定通りだ。
そう言えるまで、続けるだけ。

置屋のおかみ/妊娠をのぞむこと

『親なるもの 断崖』

という漫画が
たびたびWEB広告にあらわれる。

はじめて縄文温泉に行くことになっていた日に
ふいに無料分を読み始めてしまい

望郷。のキーワードを拾った。

それからなおも気になりながら
スルーしていたら

くさくさしていたおとといの晩
コンビニで発見。立ち読み。


4年前の夏
知り合ったばかりだった
そみさんつながりの人たち中心に
浴衣で赤坂を歩くって企画をやった。
さいごはみんなでカラオケに。

浴衣をきて並んでいる
彼女たちをみていたら
なんだか、不思議なきもちだった。
ああ、平和だなあ。良かったなあ、というような。

薄暗いちいさな部屋で
女たちが浴衣でくつろいでいるのは
なんだか置屋の休憩時間みたいで
それを眺めるわたしは女将な気分で


体外受精の成功例を
続けざまにきいていたところに
対面でその熱をうけて
ふと、その気になった。

技術を買う。
文明を享受する。

そんなことにお金をつかうくらいなら…
不妊クリニック待合室の、あの雰囲気がいやだ…
通うのが大変、のんびりしていたい…
などなど
デメリットのほうが
大きく思えて
ちっともやる気にならなかったのだけど

退屈もここまで極まると
そんなことに手を出すしかない。
(などと言うと、オットは顔をしかめる。繊細だなあ。)

オットと相談のうえ
まずは排卵チェッカーを2周期。
つかっていた友人にきいて、即購入。

唾液をとって覗き見るタイプのは持っていて
使ったこともあったが
忘れたり、結果が曖昧だったり、
わたしには向かなかった。

その、腕のたしかな、結果重視の
都内のクリニックは予約いっぱいで
早くても秋になるようなので
それくらいがちょうどよさそうだ。


過去何年も
ことあるごとに
妊娠出産について
セラピーやヒーリングの
テーマにしてみて、思うに

わたしにとって
妊娠出産を望むことは
どうやら
贅沢な我儘なのである。

地球を見捨てるくらいの
覚悟がなければ
子どもを産み育てることに踏み切れない。

命をつなぐことは
欲というより
本能だろうに

わたしにとっては
それは欲なのだ。
しかも、もつべきでない欲だと認識しているらしい。


置屋のおかみは
女郎たちが身ごもれば無理に堕胎させ
出産したら即亡き者にし
一晩に十人以上でも客をとらせ
病にかかっても気がふれても
まだそれでも客をとらせた

狂気の世界に思える。

奴隷解放イベント
女王がみずからに表現をゆるしたという欲に
それは、通じるのだろうか。


時代背景
役割
正当化できる状況

借金のカタだとか
産み/育ての親による身売りだとか
国によって保証された仕組みだとか

経済発展を支えた事実

求める
応える

応えるものがいれば
さらに求めていく

無力なものを目の前に
わたしは正気を保てるのか

もし無心になったとき
あやめずにいられるのか


「忘れるな!新しい時代を生み出すのは女性であることを!

 どんなに苦しくても耐え抜いて生きた人間がいたからこそ
 次の時代と文化が生まれてきたんだ!

 その本流は女性だ!」

『親なるもの 断崖』より
http://norizi.jugem.jp/?eid=235


女性が、その強欲さを
あらわすことができる
それがゆるされる
なおかつ、それが安全である
だれかの命をおびやかすことがない

それを試されている気がする、この時代。

しょんぼり。のち

ひさびさに
コウノトリ待ちの話。


このところ周期が安定していたのが
たった3日おくれた、それだけで
けっこう期待していて

昨晩、トイレで赤いものが混じるのを見つけ
今朝、胸の張りがゆるんでいて

なーんだなーんだなーんだ!!
がっかりだ。
しょんぼりだ。

ほしいほしいと気にかけるより
他に夢中になったほうが・・・
なんて考え始めたところで

いやいや
なんだっていいはずだ

なるため、得るための方法論を
考えようとするときは
痛みから逃げたいだけ。

おとなしくションボリしよう。そう思った。

ごはん作るのをあきらめ
オットにコーヒーを淹れてもらい
実家に送ってもらい

母のごはんたべたり
家事を手伝ったり
しょんぼりを抱えたまま
気ままにしていたら

ラックちゃんのGW企画の記事
なにかが反応した。

数日前にも
読んでいたはずなのに
そのときは、反応しなかったなにか

しょんぼりしてたから、わかること

それで、一気に動き出して
給付金の許可をもらい
お知らせ記事をかきあげた。

まだ、残念感は残ってるけど

じつのところ
そのうち出来るのだろうとは
思っているのだ。

以前のように
思い込むわけでもなく

しかるべきときに
出来ないわけがないだろう
という感覚。

そうはいっても
まだかな、まだかなーって
なってしまうのも
仕方のないことで

やれやれ。

ウエサクの満月
さそり13度
変容、変容、変容

ひとつ満ちて、次へ。

拡張していく。

こんなに怖いのはなんでだろう

きのうの記事と前後して
すこし胸が張ってる感。

よし、このまま数日後には始まるんじゃないの。
ひと安心…
じゃないだろ、おい!

まったくどんだけ怖いんだろう?
こんなに怖いのはなんでだろう?

なにかブロックが、過去生が、トラウマが、
はたまた、とんでもない子が生まれる予兆か、、、

「怖い」を消したくて
ぐちゃぐちゃ考えてきたし
考えたくなるけど

怖いもんは怖い。

それでいいんだろう。
未経験のことは、怖いのだ。
それが人間というもの、なのだ。
すくなくともわたしは、そうなのだ。

自分が、得体の知れないものにヘンゲする。
コツコツ集めてきた
自分に関するデータが
オシャカになって
また、あらたに探求しなくちゃならない。

未経験を探求する
めんどくささを
たのしみに変えるのは
姿勢ひとつ。

やるか、やらないか。
そうなれば話は早い。

どっちともつかない
ポジションを定められない
今の状況が
いちばん不安定。
エネルギーを消耗する。

退屈しのぎにはもってこい。
やるべきことから逃げるにもうってつけ。

いつまで続けるのやら。

36.6

周期39日目。
36.6度。中途半端な体温!
おとといの朝は36.5度だったから
こりゃやっぱりダメか。あきらめたのに
まだリセットしないー。

今日の寝起きは
ふとカモミールの匂いがして
カモミールティーでも飲もうかと思ったけど
そういえば万が一妊娠初期だとしたら
ハーブティーは避けたほうが無難だったよーな?
調べたら、カモミールとラベンダーは
子宮収縮作用があった。
ハーブティー全般、推奨はされていないけど
リンデンフラワーベースのを淹れて
自分欲求、満たし中。

万が一妊娠してるとしても
自分欲求は基本、優先。
レインドロップも受けたし
飛行機にも乗るだろう。
お酒もかるく飲むだろう。

とはいえ、いまのところ
胸はさっぱり張ってないし
着実に便秘気味になってきて
いかにも生理前みたいで
妊娠してるとは思えない。
周期が40日前後になることは、まま、ある。
直感の鋭い友人たちも
なにもキャッチしてないみたいだし。
周期19日目の不正出血も
着床にしては早すぎる。

妊娠しよう。と決めたからなのか
実父と義父が話をしている夢を見たりもして、興味深い。

つれづれ記録。

いよいよ

本気で

妊娠出産

してみる気になったようです。


長かったねえ!


その気になった、というだけで

できたわけでも

できるわけでも

ないですが。


次なる探求は

コドモの世界☆


なにをやっても

なにをやっても
ダメなんだなあ。

そうやってすべてを
否定したくなる。

「子どもを産み育てる」

それが叶わないというだけで
いま、まだ、叶っていないというだけで
自分のすべてを否定したくなる。

あれもやった
これもやった
そりゃあたしかに
カンペキには出来てないけど
でも、やった。
やったのに。


大丈夫なことは知ってる。
すべて計画通りなことも
ぜんぶギフトだってことも
知ってる
けど
それがなに?

わたしは
いますぐ
妊娠したかったのに!


・・・なんでそんなに
急いでいるのだろう?

妊娠したら
ゆるされると思ってること
自分にゆるせると思ってること

妊娠したら
叶うと思ってること
得られると思ってること

ぜんぶ、いまここに、もう、あるはずなのにね。

母になる、という贅沢

母 になること、子を授かることを、わたしは避けてきた。
具体的に避妊してたわけじゃない。
何年も「子供ほしい」と言い続けて
そのためにいろんな知識も知恵も手に入れたし
あれやこれや試してきた。
子どもが欲しいと心底思う瞬間も多々あった。

でも、心の奥の奥の奥にあったのは
「そんな贅沢しちゃいけない」って気持ち。

うすうす気づいてたけど
ますます明確になってる最近。


今日、ソミファミ(Facebookの本郷綜海さんのグループ)に
投稿された綜海さんのことば。
それから、玄花さんのこのブログ記事


子を授かり育てるなら
わたしは我を忘れて、世界を忘れて、
目の前のことに没入するだろうと思うのだ。
それはわたしにとって無上のヨロコビであると同時に
「すべて」を捨てるに等しい。
身を挺して護ってきたすべて。
みずから望んで引き受けて引き換えにして・・・

そういうやり方でしか出来ないと思い込み

そういうやり方でも護らなければと勘違いし

それをするしか生きようがないのだと信じてきた。

この観念がどこからきてるのか
トラウマ、カルマ、過去生、条件付け、バースホロスコープ・・・
そんなことはどうでもいい。
ただ、どうしても、そういう風に思えてしょうがない自分がいて

簡単に言うならわたしにとって出産育児は
ここまで生きてくる根底にありつづけた
「自己価値」を手放すこと。

ほんとうに無力な
ほんとうに無意味な
そういう存在になること。

自分がたのしいと感じるものだけをひたすら追い続ける。
わき目もふらずに、とことんワガママに、、、
それをしてもいいのなら
冷え性も、白砂糖のはいったお菓子も、お酒も、
わたしにはもう要らないだろう。
「自分」をセーブするため
「自分」を鈍らせ
だれかと響きあうため
身体に科してきたブレーキを手放して
「自分」を生きていいのなら


それを決めるのはわたしだ。


決めては戻り
戻ってはまた決めて
ゆらゆらしてる。

そして、やってしまえばすぐ慣れることも
いつだって戻れることも
すぐ飽きるだろうことも
じつは違うカタチですでにやってることも

わたしのどこかは、知っている。

しあわせな不妊子宮

2年ぶりに脂取り穴追いを受けた。

2年前はワークショップに参加して
オットに、施術してもらった。

 アメブロ記事(2010年12月):
 効果テキメン「脂取り穴追い」


今回は西荻窪はぴねす奈美ちゃん
出張をお願いして、茶話会企画として。

  アメブロ記事:
  新春茶話会レポ☆いのちに触れて、触れられて
  新春茶話会レポ☆おんなは喋って元気になる!

アメブロの記事にも書いたのだけれど

マタニティ整体を得意とする
奈美ちゃんいわく

30~40代の子供を産んでいないひとの子宮は
さみしい感じのことが多いのだとか。

でも

わたしの子宮は、そうではなく。

脂らしい脂も、なく。

  (脂: 身体の深いところに残っている緊張)


奈美ちゃんのその言葉は

何年も何年も何年も
不妊と向き合って
身体を見直し
心を見直し
暮らしを変え
スピリチュアル視点も含め
ひたすら見直し
向き合ってきたわたしにとって

合格。

と言われたような
めちゃくちゃ嬉しい言葉だった。


そして
その4日後
新月の3日後
見事にリセットした。

一般的な排卵周期にのっとって逆算すると
タイミングはとれていたと思う。

早く妊娠したい気持ちは
いまも変わらず
よりいっそうクリアに
あるけれど

これだけ条件が整って
それでも妊娠しないのは
なんだか、もう、ほんとうに、お手上げ。

すがすがしく、降参。

自分を責めることも
他人や過去やカルマに原因を求めることも
もう、存分にやった。

すべては最善のプロセス。

いつか妊娠するにしろ、しないにしろ
「イマ」を受け入れ
たのしむ
それだけだ。


「母」という意識は
妊娠を自覚したら最後
無事に生まれるかどうか
無事に育つかどうかに関わらず
生が終わるまで、わたしに付随する。

妊娠がかなうまで
わたし単体の感覚や
オットとふたりきりの幸せを
もっと、享受しよう。

単体のしあわせ
1対1のしあわせ
もう十分あじわった!と思うけれど

まだまだ先は長い。
いつだって未来は未経験。
きっと、もっと、たのしめる。

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