カテゴリー「心と体」の記事

安心を感じるための不安

遅刻して、相手がゆるしてくれると
「ああよかった」と安心する。

遅刻して、相手が不機嫌だと
「やっぱり自分はダメ人間だ」と落ち着く。

心配していたことが起こらなければ
「ああだいじょうぶだった」とほっとする。

心配していることが現実になると
「やっぱりダメだった」と納得する。

結局、
「ああ、やっぱり、~~~だった。」 という感じを
味わいたいだけなのかもしれない。

それは、安心感に似ている。
または、安定感。

他人や出来事、世界の反応をみて
自分という存在の輪郭を確かめている。

自分がどういう存在としてこの世界に
ゆるされているのか、知ろうとしている。

他の方法で知ることができれば
もしくは、そもそも、知ろうとしていなければ

なににもたよらずに自身を見ることができて、
その、在りのままを自分を、いつもゆるしていたら

世界はどんな風になるんだろう?

すくなくとも他人様に
迷惑かけることは減るだろうなあ。


自分が遅刻したとき、わたしは、
自分の方が弱い立場だと思っている。
ジャッジされると思って、不安になる。

しかし、相手を待たせている時点では
相手の時間を浪費し、行動を制限している。
つまり、自分の方が強い立場にいるのだけれど、
それを意識していないし、なかなかできない。

物事にはいろいろな側面があって
見方によって勢力図も変わってくる。

どうやら、わたしは、自分が弱いような、
犠牲者であるかのような見方を選びがち。
自分の今後の状況が、他のなにかによって
コントロールされると思ってしまう。
自分に選択権がないと思うから、不安になる。

けれど、もしかしたら、どんなときでも、
「自分に選択権がある」という見方が
できるのかもしれない。

未確定の未来におどおどするのではなく、
いまの自分の選択権を、きちんと使って、
未来につなげることができるのかもしれない。

意識的に生きる。
自覚的に生きる。
そのためには、まず、自分がいつだって
選択権をもっていることを覚えていたい。

不安な状況から解放されたときに
安心を感じるのではなく
常に自分に選択権があるという安心を
いつでも感じていられたらいい。

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わたしが一番欲しかったもの

それは、こどもではなくて

こどもと過ごす時間でもなくて

コドモみたいに生きてもいいっていう許可だった。


こどもと一緒に居れば、

コドモになっても許されるって

いつから思っていたんだろう?


物心ついたときには

妹に限らず、

年下の子と過ごすのが好きだった。


こどもを授からないことを

なぜ、そうも嘆くのか

自分でもよく分からなかった。


よく分からないけど

とにかく絶望的な気持ちになった。

いつもいつも。


ずっと闇に押し込まれてきた

コドモのように生きたい自分が

また、機会が得られなかったと

まだ、我慢しなきゃならないと

嘆き叫んでいたんだ。


この先いつもいつでも、

コドモのように生きようとは思わない。

選択肢がひとつ増えただけ。


選んじゃダメだと思っているからこそ

どうしても選びたかったもの。

両親やオットや気心の知れた友人の前で

お酒に酔って理性をゆるめたときにだけ

選ぶことのできたもの。


もう、いつでも、選んでいいんだ。


過ぎてみれば簡単なこと。

だけど、わたしにとって、すごく大きなこと。


根雪がとけたような開放感

探していたメガネを頭の上に見つけたような徒労感

長い長い不自由さがあったからこそ

慎重に、大切に、扱うだろう。


いつかの自分からの、ギフトに感謝。

Blue -The gift

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甘いものと自己憐憫

この数日、舌が荒れていて
甘いものを食べたくて
お酒を飲みたくて
きちんとした食事をしたくなくて
つまり、退廃モード。

カラオケで発散したり
好きなだけ飲み食いしたり
OHカードで自己探求したり
いろいろ試して、浮き沈みはするけれど
気づくと真っ暗な海底に戻っている。

いつもなら気にならないこと
嬉しいはずのこと
張り切るようなことを
なんだか億劫に感じたり
ものすごくイラついたりして、苦しい。

こういうときに限って、そういうことが続く。

うんうん唸っていたら
とつぜん、ふわり、ぱらりと光が舞い込んだ。
それはいつか自分が投げかけておいた
目覚まし時計みたいなもの。
忘れていた希望。

そうしたら、暗闇がいっそう暗くなって
希望のなさが際立って
誰も助けてくれない、と腹が立って
悔しくて寂しくて大声で泣いたら
キーワードがみえた!

「不安」

どうやらわたしは、不安だったようなのだ。

先月なかば 「なんのための自分?」で

しっかり自立できるまで
退屈や不安に克てるまで
定期的な勤め仕事は就きたくない。
きっとまた、同じように疲れてしまう。
お休み中のFXもそのままにしておく。

なににたよらずとも
しあわせを感じられるまで。

などと書いて
舌の根も…筆の先も?乾かぬうちに
まんまとFXをはじめて、また失敗し、
まんまと仕事をみつけてしまい、応募し、

まんまと不安に陥っているわけなのだ。

そして、そんな自分が可哀想でならなくて
あまやかしたくて、甘いものを欲していた。

嫌な出来事ばかりが続いたり
バカみたいに不安が現実化していたから、
「なにか気づいていないことがあるはず」
「でも、なんだろう?」と思っていたのだけれど

なるほど、この不安に気づくためだったのか。

気が抜けた。

しかし、ここで終わってはだめなんだ。
今回は、ここで終わらせない。

わたしはもっと安心して生きていきたい。

起こるかもしれない事象
感じるかもしれない感情
さまざまな可能性に、怯えすぎることなく
自分の処理能力を、過信することもなく

その時々の最善を選べるようになりたい。

訓練あるのみ、だろうか…。

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満月と緊張感

昨日から、なんだか緊張している感じがする。
さいきん飲酒量がめっきり減っていたのに
1,2杯飲んでは1,2時間おいてまた飲んだりして
酔いが完全に醒めないようにしているみたい。

排卵期で、満月。

じわじわとプレッシャーなんだ。

いよいよ子を授かるかもしれないと
要らぬ緊張をしているんだ。

ばかだなあ。

期待と同時に怖くもなっている。
もし授かったら、無かったことには出来ない。

夏に折れた前歯を、削ってしまうか
不具合の可能性を前提に残すか
決めかねているのと、似ている。

選択権が、あるような、ないような。

歯のことはどっちかに決めなきゃならないけど
子のことは「どっちもアリ」がゆるされている。

「怖がっているようでは授からない」なんて
自分を責めるための口実だ。

未知の領域を
おそれたり、たのしみにしたり、
それでいいじゃないか。

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心の疲れを抜け出た経緯

今回の退廃気分から抜け出た経緯を
次回以降のために書いてみようと思う。

第1段階
・食事の支度など家事をしたくない
・がんがんお酒を飲みたい
・だらだら食べたい
・なんだかもやもやする
・出かけたくない
・ダダをこねたい

おーやっぱりそうなるか、と
うっすら思いながら
欲求のままに動いてみるものの、
思ったほど飲み食いできず
寝て起きてもすっきりしない。
背中がすごく凝っている。

身体を動かそう!発散しよう!と
思うのだけれど、出かける気力はないので
トランスを大音量でかけて
なるべく頭をカラにして踊ってみたら
背中のコリがすこしほぐれる。

ここでふと『こっこさんの台所』を読み返す。

アイルランドの食事情と日本を比較して
「なんて日本はうつくしいんだろう」と語り、
それを支える(自身を含めた)日本女性たちを
慈しんでいるエッセイがあり、号泣。
子供みたいに声をあげてわあわあ泣いた。

はじめて読んだ時にも、そんな風になり、
それはわたしにとっては珍しいことなので、
よほど、しゃっちょこばって生きているんだなあと自覚。

ブログやメールを書こうとしても
まったく筆が進まない。


第2段階
・リラックスしたい
・甘えたい
・出かけたくない

本を読んでひと泣きしてすこしほぐれたのを
加速させるかのように、お酒を飲み始める。
音楽はまだトランス。
テンションをあげようとしていたのかも?

すこし勢いがついたのと、
「世話モード」の余波で、
オットのおやつに白玉をつくる。

そうこうするうちに酔って眠くなり
リビングで寛ぐオットにくっついて沈没。
数時間で起きたあとは
しずかな気持ちになっていて
夜食を用意したり、事務処理をしたりする。
音楽はまったりめのCocco。

思考を書き出して整理したい気持ちはあっても
やはり筆は進まない。


第3段階
・出かけたくない
・献立が思いつかない
・集中力がない

日常モードに戻りきれていないかんじ。
いちおう家事はできるけれど
やりかけで他のことを始めたりする。
(いつにもまして、てんでばらばら)
音楽はあまり聴かないか、
クラシックやインストゥルメンタル。


ざっと、こんな感じで復活した。

酔っぱらったり、家事をサボったり、
オットに甘えたり、ひとしきりやると
気が済んで日常に戻れるので、
リラックスと自分優先(甘やかし)が
ポイントだろうか。

今回は、各段階がだいたい1日ずつ。
以前は2~3日ずつかかっていたので
ずいぶん早くなったと思う。

なんでも、回数をこなせば
早くできるようになるんだなあ。

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なんのための自分?

なんとなく退屈で、悪癖復活。
だらだら食べたり
だらだら飲んだり
おなかはちっともすいていないし
お酒を飲みたいわけでもないのに
なにかを埋めるために。誤魔化すために。

なにかがしたいけれど
できないから、退屈。
なにがしたいんだろう?
なにかたのしいこと・・・

また歌いに行こうかなあ
でも昨日ほどたのしくないかも
そしたらショックだ

うしなうことを恐れると
なにもできなくなるなあ

ここで踊ってみようか
でも夜中だし近所迷惑だし
そのときは良くても
すぐまた退屈するだろうなあ


・・・退屈というより
さみしいような気がする。

「自分がなにかの役に立っている感」
「意義のあることをやっている感」
そういうのが、欲しい気がする。

わたしは意味ある存在だ!
それを実感するという、たのしみ。

なぜそれがたのしみなのか?

『わたしはいつでもわたしのままで
 意味や意義などわからなくても
 ただ存在するだけで、十分なのだ。』

そう思えていないから。

直接的にはなんの役にも立たないようなことも
ただ苦しくて悲惨で救いようのない出来事も
すべてが、いろいろな影響を与えあって
この世界はまわっている。

だから、自分が愉しいと感じること、
心地よいことだけを選択していけばいいって

アタマでは分かっているし
ときどきはココロでも感じるけれど
まだ腑に落ちていない。
信頼できていない。

分かりやすい手ごたえがないと
不安になるんだ。

手ごたえを得るには
「誰か」や「なにか」が必要。

つまり、自分ひとりで満ち足りていない。
自立できていないということだ。


「無用の長物」に書いたような
疲れは、だいぶ癒えたと思うけれど

しっかり自立できるまで
退屈や不安に克てるまで
定期的な勤め仕事は就きたくない。
きっとまた、同じように疲れてしまう。
お休み中のFXもそのままにしておく。

なににたよらずとも
しあわせを感じられるまで。

---------

この記事を書いている間
なにか食べたり、飲んだり、
ウェブサーフィンしたり、雑誌読んだり、
すぐに他の事をやってしまって
ものすっごく時間がかかった。

なにか触れたくないこと
触れる準備が出来ていないことに
近づいているんだろうな。

反面、書くのをやめようともしなかったから
向き合ってみたい気持ちも
だいぶ大きいみたいだ。

有名人や友人知人の
懐妊・出産のお知らせに泣きたくなるのは、
それに関係しているのかもしれない。

あせらずに
行きつ戻りつしながら
愉しさを感じながら
取り組もう。

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カラオケ瞑想

ここ数年
なにか好きなこと愉しいことを
習慣的にやりたいなあと思って

音楽と身体を動かすことが好きだから
・サルサ
・ヨガ
・ボイストレーニング
・ゴスペル
・琉球太鼓
・スポーツクラブのスタジオレッスン
など試したものの、どれもいまいち。

サルサは数年前に数ヶ月やったけれど
どうにも照れくさいし
背が高いから、ペアの相手に
申し訳なく感じたりするので
やめてしまった。
あのリズムは心地よいんだけど。

海から上がれなくなるくらい
シュノーケリングが好きなのに、
季節関係なくあそべるスキューバダイビングには
なぜか惹かれない。
たぶん、機材をごてごてつけたりして
セルフコントロールの範囲を
出てしまうのが嫌なんだと思う。
プールもあの雰囲気が落ち着かないからパス。


そもそも遅刻魔だし
気分が落ちると行けなくなるし
腹の足しにならないことに
お金をかけるのは、なんだか後ろめたい。
定期券がなければ交通費もかかる。

そんなこともあって
夏前に試してみたジョギングは
1ヶ月も続かなかった。
気分は良いけれど
習慣にするほど愉しくないみたい。

カラオケは近所にあるし手軽なので
ちょくちょく利用するものの
夜間や週末は料金が高くなるのが
なんとなく悔しくて
行きたいときに行かなかったり…


だったのだけれど。
昨晩おもいきって
週末深夜のカラオケに行ってみたら
案外やすくてびっくり。
半額クーポンのおかげでもあって
1.5時間、1000円ちょっとで済んでしまった。
これなら週1で通っても
「お稽古事」より安あがりだ。

そして、あらたな遊び方も発見。

【カラオケ瞑想】
♪~♪~やりかた~♪~♪

続きを読む "カラオケ瞑想"

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意図的ひきこもりのススメ

30数年かけて
ゆるやかに下り続けた坂道から
ようやく他の道へ入れた感触

とてつもない疲労感と
風が抜けるような爽快感

ひさしぶりに、なにかヒーリングを
お願いしようかと思ったけれど
いまは自力でなんとかすることを、
まず考えた方がいいはず。

ひたすら寝るばかりではなんなので
瞑想は苦手だから…
活元運動がいいかもしれない。

cute

それにしても、われながら
よくぞここまで耐えてきたなあ。

先日読んだ
河合隼雄さんと村上春樹さんの対談本の中で
『痛みを受け止める力、症状を形成する力』
ということを河合さんが話しているのだけれど
わたしには、その力がなかったんだと思う。

浮き沈みを繰り返しながら
のらりくらりと来てしまった。

わたしの症状は
・遅刻癖
・暴飲暴食
・不妊
・仕事に行けなくなる
・健気な子供を見るとなんだか泣けてくる
などという
生き難くはあるけれど
さりとて治療を必要としないものだったり
環境に許されてしまうものだったりしたので
なかなか煮詰まらなかったのだろう。

『日本人は個人ではなく、場で痛みを受けるので、
問題の押し付け合いで済んでしまう』ともあって

自分の痛みを、自分のものとして、
自分がなんとかするしかないものとして、
自覚することの出来なかった
わたしにも当てはまることだ。


しかし何度も繰り返すうちに
だんだんとコツが飲み込めてきて

先月末に遅刻癖がひどくなったあたりで
今回はみずから引きこもりを決め込んだ。

そのようなタイミングで
コミュニティ・ファシリテーション研究所のノリさんが
再び、欝についてコラムを書いていて
やさしい追い風になってくれた。

以下、廣水乃生さんの『うつ』の活用法より抜粋。
http://comfaci.com/09/091107/

『うつ』を、まだ生きていない新しい自分との
出会いのサインとして活用して、
じっくり味わいながらサナギが脱皮するのを
静かに待つのをオススメします。

『うつ』であるこの静かな時間につかりながら、
自分にとって本当に大切なことが浮かび上がってくるまで、
やるべきことをできる限り最小にして、ゆっくり過ごしましょう。

cute

ダメな自分に出会ってしまったら

じたばたしないで

…たとえば、気分が明るくなるようなことを
無理矢理やったりしないで

家族や世間、それから自分の内にある
批判の声など気にせずに

心ゆくまで引きこもる。

遠回りなようですが
これが一番の近道のようです。


諸々の事情がゆるさないときや
沈み込む気力がないときのために

浮上する術を見つけておくのも大事。

わたしの場合は
カラオケ、友人とおしゃべり、とか?

cute

きっとこれから先も
アップダウンの繰り返しだろうけれど

どんなに苦しいときも
人生という波乗りのたのしさを
どこかで感じていられたらいいなあ。

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涙雨

なみだあめ【涙雨】
 (1)悲しみの涙が化して降るという雨。
  (2)ほんの少し降る雨。
 [大辞林 第二版]


関東地方は雨雨雨。
今日からしばらく降るようです。

DAYAさんのところで
『不思議なタッチ』 をやってもらったときも
そういえば雨でした。

そのとき出てきたイメージについては
walking in the rain のエントリにあります。

かんたんに言うと
雨降りでもいいもん。と
つよがっている感じでしたが

もう、やめようと思います。

たしかに雨は誰のせいでもないけれど
冷たいとか、寒いとか、
雨やどりしてほっとしたいとか、
そう思うことにも罪はなくて

わたしが至らないのでも
心が弱いわけでもなく
そこにエネルギーがあるというだけ。


おもいきって顔をあげてみれば
ドアを開けて待ってくれている人もいて
雨宿りするのに資格などいらなくて

こどもだった頃ならいざ知らず
今わたしは、自分の居場所を自分で選べるのだ。


雨を避けることは
裏切りだと思っていたところも
あるかもしれない。
雨を見捨てるような気持ち。

わたしが雨の中に居続けたからといって
雨がやむわけではないのにね。


ひたすら雨にうたれているのは
つらかった。さみしかった。
雨にうたれようとしない人を
自分を助け出してくれない人を恨んでいた。

ほかの誰かではなく
その人に助けてほしいと思っていて
それまでは動かないと決めていた気がする。
悲劇のヒロインごっこ。
自分で動くしかないって、わかったから
もうおしまい。


わたしの舌は
歯型がついてふちがぎざぎざしている。
これは体の水分が余って
舌がむくんでいる状態。
(東洋医学の舌診についてはこちら

自分の中にたまった雨水みたいな感情も
きっと関係あるのだろう。

いまは、どんどん涙にして流す日々
秋の長雨があがる頃
すこしはカラっとしているといいな。

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無用の長物

この数日、やけに気分が落ちている。
飲酒時間が増え
量もそれなりに増えるので
身体も疲れてくるから
さらにダルい感じになる。悪循環。

親の前で酔いやすいのは
親の前で泣けないのと
関係があるかもしれない。

30も半ば近く
嫁いで9年も経つのに
いまだに親の影響下にいるとは
なんとも情けない。
しかし、いかんともしがたい。


毎日、やることがない。
正しくは、やりたいことがない。

やるべきことはいくらでもある。
片付けや不用品の処分、
手の込んだ料理を作ってもいいし、
網戸や窓を拭いたっていい。

でもそれらは別にやりたいことではない。
やった方がいいだろうと思っているだけ。


起きていれば
なんとなく何か食べたりするし
お酒を飲みたくなったりするし
パソコンをつけたりして電気なんかも使うから
寝られるだけ寝る。
省エネ。エコ。

人生を無駄にしているような気がする。
地球資源も無駄にしていると思う。
わたしは、無用の長物だ。

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