カテゴリー「心と体」の記事

渇望するからこそ

前記事で書いたように
わたしは他者、とくに女性に対して
安心することが苦手だ

しかし、わたしに対して
安心感を抱いてくれるひとは多いように思う

バーズやチューニングをするにあたり
それはとっても大切なことで、ありがたい

傷のあるところこそが
そのひとの才能
キロンを癒すと最大の武器になる
たしかそのようなことを以前どこかで読んだ

実際に、そうなのかもしれない。

安心感を渇望してきたからこそ
なにが安心につながるのか?
分かるのかもしれない

そしてじぶんが渇望してきたからこそ
他者にそれを感じてほしいと願うのだ

引っ越しセラピー

引っ越し先が決まった。

必要条件の優先順位を変えながら
二転三転してきた4か月

友人の助けを借りてたどりついた
最後の手段は
「オットの暮らしの変化や負担を小さくする」
この条件を外すこと。

そうしたら、あっという間に決まった。

かってに、ほとんど無意識に
最優先事項に織り込んでいたこの条件には
じつは副作用があり
わたしの実家との
距離やアクセスを保つのだった。

これを外して
物件がさくっと決まったはいいが
実家との行き来は
ずいぶんとめんどくさいことになった。

直線距離はそう遠くないのに
電車でも車でも
遠回りしないと行けない。


今朝も母がおすそ分けをあれこれ
持ってきてくれた。チャリで颯爽と。
引っ越したらもうそんなことはなくなる。

結婚して家を出ても
ずっと近所だったから
18年続いてきた関係性。

かつては介入にも思えた
母からのサポートも
近年ではずいぶん良い距離感になってた。

ありがたかったなあ。
これからわたしは母の偉大さを
もっと、思い知るのだろう。

母を支えたようなつもりに
すぐ、なるけれど
本当は力をもらってるのは
いつだってこちらだ。


今回の引っ越しは、
わたしとオットそれぞれの、
キロンの癒しにつながっているのだろう。

6室牡羊座のキロン。
オットも牡羊座で4室。

自立すること、一人前になること。
自分であること。
自分のホームにまつわること。

参考: キロンがサインを変えます


このタイミングで
バーズのブラックアウトを体験できたのは、
この部分の癒しが進んだこともきっと大きい。

他者、とくに女性への、信頼と安心感。

母との関係性に葛藤があるのは
月、火星、海王星のアスペクトに出ている通り。

わたしが母に対して安心感を抱きにくいのは、
あくまでもわたしの側のナニカによるものであり、
母のキャラクターに依るものではない。

そしてもちろん、わたしの側のナニカというのも、
責めるべきものでも否定するべきものでもない。

このことが腑に落ちてからが本番。

そして、今回の引っ越しを通じて
実際に行動に落とし込むことになった。


お互いの要求を出し合い
それらを満たす物件は
ちっとも見つからず

二転三転するなかで
それでも共に暮らしていけるのか?
いっそ別居がいいのではないか?
何度もそんな話になった。
苛立ちもつのった。

行き詰った最後の最後に
オットがだした案はふたつ

「2年はキミが決めた家に一緒に住む。
絵描き部屋さえあれば
どんな場所になっても文句は言わない」

「じぶんはここに残って
キミと猫だけどこかに引っ越す。」

そうしてようやくわたしは
オットの都合を無視する権利を
じぶんに与えることができた。(感謝!)


他者に譲歩しないこと
他者の都合を配慮しないこと

安心がなければ
ほんとうの願いや望みを
他者に伝えることはできない。

伝えることはおろか
じぶんの意識にあがることすら無い。

自室が欲しいということも
物件探し3か月目でやっと出てきて
自分としては最大級のワガママが言えたように感じていたが
まだまだ、高望みをする自分が底にいるらしい。

この先はきっとリハビリなのだろう。

なにやら転地療法のように思えてきた・・・

感情に執着する理由

小学校を卒業する3月頃だったか
自室で光GENJIのGraduationを聞きながら
いっしょうけんめい泣いたことを覚えている

卒業が控えているのだから
悲しいはずなのだから
泣くべきだろうと
あれこれ思い浮かべては
悲しさをつくりだし
泣いたのだった

まるで演技の練習である
しかしわたしにとっては
人間修行のような感覚だった

感情的であること
不快感情があること
それが、人間らしさであり
他人とうまくやっていくために
ふつうであるために
大事なのだと思っていたようだ


ここは悲しむべき場面だとか
怒るべき展開だとか
そうした判断をもって
感情を作りだすことは
だれしも無意識にやっているかもしれない

また、感情が生じたときに
それをあえて増幅させ
持続させようとすることもある


感情に執着するのはなぜだろう?

感情にかまけることで
感情を言い訳にして
なにを避けているだろう?

それはほんとうに
感情を理由にしないと
できないことなのだろうか

感情から観念を見つける

不快感情が生じることに是非はない
それをどう扱うのかが大事

他人のせいで
不快感情が生じたのだと
他人にぶつけたり

不快感情にとらわれて
薪をくべ続けたりするのは
マイナスをゼロにしようとする行動でしかない

感情が生じるというのは
なにか摩擦があったということで
つまりそこには「観念」がある

どんな感情が
どんな場面で生じたかを
観察することで
じぶんのもつ観念を知ることができる

観念がわかれば
それを持ち続けるのか
手放すのか
書き換えるのか
選ぶことができる

より生きやすく
たのしく生きるための
セルフメンテナンスであり
アップデート作業である

不快感情の扱い

不安
嫉妬
恐れ
憂鬱
恨み
劣等感

そうした不快な感情が出てきたときは
そこに薪をくべないことが大切

あの時もそうだったとか
あれも気になるとか
芋づる式で探しに行かない
そんなことに思考を使わない

感情はエネルギーなので
意識(思考)というエネルギーを加えると
さらに増大してしまう

不快感情が出てきたら
「気づく」のが第一段階
それだけでも、感情とじぶんのあいだに距離ができる

感情に巻き込まれていては苦しいばかり
あまりに渦が大きく強い場合には
すぐには難しいとしても
とにかく水面から顔をだして、息を吸う
寝てしまうのもいい

不快感情があることを認め
ただ、そのままにしておく
やたらにイジらない
ある。ということを認識したらそれで十分

ほかのことに意識を向けているうちに
いくらか沈静化する
そのまま消える場合もあるし
正体がみえることもある

むやみやたらと消そうとしないこと
感情を抱えるじぶんを否定しないこと
ただ、そのまま一緒にいればいい

応用的に早める方法はあるが
基本は同じことである

身の程を知れ。

身の程知らず。と言われた気がした。
そっちこそ身の程を知れ!と言い返したくなった。

ぜんぜん大切にされていない気がした。
じぶんばっかり割り食ってる気がした。

どう切り出そうか?
認識のズレをあきらかにしなくては。
どんな結論、どんな選択肢があるだろうか?
こうしたらどうなる?
こっちだったらどうだろう?
困ればいい。思い知ればいい。
ぐるぐるぐるぐる考えて考えて考えて・・・

あれ?
なんかおかしくない??

なんにせよ苦しい。
相手がどうこう以前に
いま自分が苦しい。
それをなんとかしようと決めて

自働運動と瞑想のあと
そのモヤモヤを身体に探して愉氣してたら
「だからといって、相手を悪者にしたいわけじゃない」
そんな気持ちが出てきた。
くっと、背骨が動いた。整った。

ああびっくりした。
視界が明るくなった。

なんだったのだろうあれは・・・
本気で全身でそんな気でいたんだ。
なにか別世界にトリップしてたみたいだった。
たしかにそんな思考回路の時代もあった・・・
よかった相手に切り出す前に片付いて!!

あきらめグセは根強い

待て。休め。
わかってる
わかってるけれど
あああほんとうに、休むのって大変である。

ブラウザのあちこちに
間取り図の広告が出てくる。
つい見に行ってしまう。

もうとっくにくたびれているのに。

でもがんばらなくちゃ
はやく引っ越したいし
出来ることはやらなくちゃ
などなど
言い訳
言い聞かせ
できると思ったらNGと言ったのは誰だっけ


いますでにある物件に
じぶんをはめこもうとする

ここにこれをこう置いて
こうすればこんなかんじで
だいじょうぶ暮らせる。って

窮屈な現実に
じぶんを押し込めることに
慣れすぎている

なんの苦もなく
抵抗もなく
ふと気づけば
どうすればそこにおさまることができるか?
創意工夫で遊びはじめている

ほらこれで大丈夫。
なんとかなる。って
なんとかできるじぶんに酔ってしまう


まずは文庫を出るのが先決で
まずはとにかく引っ越して
理想のイメージに向かうのはそれから。

そんなふうに思ってしまうけれど
さいしょからイメージに向かったっていい
そこに無理がないのなら。

ただし、いまのわたしでは
なにがどうなったら
無理なくそれに近づけるのか
さっぱりわからない。


わからないだけで
無いとはかぎらない


現実をみればみるほど
理想が叶う道筋はみえなくなる

どこにある?と探しに行くでもなく
さあこい。と待ち構えるでもなく
ただ、ただ、いまに寛ぐ。
イメージを描いて、それが叶った身体に為る。
それを味わう。その状態で居る。
夢の学校でやったこと。
ああ今度、講座の録音をききなおそう。

そこそこの
手の届く
しあわせじゃなくて
もっともっと最大級のラッキーがやってきてもいい

全方位にひらいておく

じぶんをちいさく見積もるな

あきらめなくていいよ
わたしがわたしに言ってやるしかないんだ
わたしがそう言うだけでいい

あきらめなくていい
ふつうじゃなくていい
ありえなくていい

人間ばなれ
どんどんすればいい

そうしてまたいつか「休め記事」のように
なにかがあふれて流れるかもしれない
でもそんなのはおまけでしかない

あきらめるな
せかいをみくびるな
資格も責任も問うな
ただわたしがもっとわたしで在れるように。
在れる可能性から、目をそらさずに。

この夢は、みんなの夢。
旗をかかげるのがわたしの仕事。
ひるむな。嘆くな。胸を張れ。

オリンピックの効用(拡大と抵抗の記録)

2/17の朝、ネットで流れてきた
羽生選手のSP動画をみて
ものすごく”上がった”。

不思議なほど
不気味なほど
元気いっぱいになり
なにもないのに
顔がにやけたまま。

前日に横浜美術館で
石内都さんの世界を堪能
わたしが生まれた頃の
わたしが生まれ育った地域の
写真にかこまれ
その日はなにか”あてられた”ように
ぼんやりと過ごし
早々に寝て
二度寝、三度寝と繰り返し
13時間は寝たと思う。

そこからの、SP動画。
引き込まれた。

わたしは対象と同化しやすい。
なぞの元気状態はおそらく
羽生選手や、鑑賞者たちの
心身と意識の状態につながったから。

フリーはリアルタイムで観よう!と
テレビのある実家に向かった。
くいいるようにフリーをみたあとは
新聞記事を読んだり
ネットニュースを渡り歩いたり
動画を繰り返し観たり

よい対象と一体化するのは
気持のよいものだ。

炊事も最低限にして
あえて肉体から意識が半分ぬけたまま
ふわふわと気持ちよさを味わっていた。


明けて、2/18の朝
ぼんやりとした
虚無感があった。

抜けたままだったところに
入り込んできたもの
そんな認識ができたのは
夜になってからで

日中はひたすら
どんより
退屈な
やさぐれた気持ちで過ごした。

自己否定のような
自己嫌悪のような
拗ねのような

自堕落モードに
片足を入れたまま

オットや友人に
やさぐれている!と
アピールしたりして

ああもう死にたい、まで
たどりついたとき
これはつまり
なにかわたしの観念が
崩れ去ろうとしているのだろうと気付き

拡大が起きたための
反動、収縮だろうと見当がついた

かつてはこんなとき
本気で死にたいのかと思ったけれども
今回はまったく感情も感覚も伴わず
ただそんな思考がよぎっただけだったから
そのあまりの自分事ではなさに
一気に冷静に、客観的になり

オリンピックでのメダル獲得
怪我からの再起
そんなドラマに
湧き上がると同時に
無意識下で生じたはずの
ひがみ、ねたみ、さみしさ、恐れ を捉えた

アスリートがみせる
前人未踏の境地
知らしめられた可能性は
まばゆい希望で
ゆえに、観るものの影を濃くする

それだけのことができるという事実
ヒトが内包する力への、漠然とした恐れ


気が付きさえすれば
おのずとほどけていく

抵抗しない
分離しない
肉体を通すことを恐れない

ゆるめて
受け入れて
ひとつになって
じぶんのものにしていく


余談だが
圧倒的な実現力で
オリンピックの魔物を
粒子レベルまで蹴散らし
あまねく取り込んで
力にしてみせた羽生選手に対し

魔物に気がつかない
自分自身への集中力
すべてをそのままに捉える
スルー力のたかさ
宇野選手は次世代、これからのありようを
示しているように思う

願い求め掴み取るドラマとは対照的な
淡々着々とすべてをとらわれなく受け入れ利用し
焦ることなく結果を積み重ねていく方法

後者が優れているということではなく
年齢や立場によって
使い分けることになるのだろう

整体指導ふりかえり

氣道協会の整体指導を
受けるようになってから
7年目になる。

受け始めだけは
週1〜3回を目安に3回
つめて受けることを推奨されたので
そういうふうにした。

受けてすぐなにかが
がらりと変わるとか
重心があきらかにちがうとか
そんなことはなかったと思うが

なにか変化があったのか?
当時の日記を読み返したら

3回目を受けた翌日に
なーんだわたしの身体、
妊娠できないわけじゃなかったのかー
と、拍子抜けしたことが書いてあった。

ちょうど子宮頸がん検診も受けて
12年前だかに診断されたPCOSについてきいたら
妊娠に影響するような状態ではない
機能的には問題ないとも言われ

整体でもおそらく
妊娠の可能性について
質問したのだろう
そして大丈夫でしょうと言われたのだろう

あいまって、ようやく、安心したのだった。

当時、じぶんの身体機能に対して
むやみに深刻に
シリアスに
悲観的になっていたのだ。

それが抜けるきっかけになったのだな。

そうして力が抜けたからといって
現在までに妊娠はしていないし
これからもするかどうかはわからないが

不妊をきっかけに
いまのこの、ふんわりと気持ちのいい身体へ
行き着いたのだから
もうあとはどうでもいいな。

整体という状態

はじまりそうで
はじまらずにいた生理が
今朝すこーんと始まり

目や頭をあまり使わずに過ごしたいので
さっきまで煮込み料理の仕込みをしていた。
ひき肉狙いの猫をよけながら。笑

ようやくひといきついて座ったら
なんだかたいへん気持ちがいい。

身体の響き。
エナジーがコンコンと湧いてくるような。

3日前に整体指導を受けてから
そんなかんじが続いている。

みなぎる!というのでもなく
こんこんと湧いては、放たれるがまま。

眠りに落ちる寸前の状態が
ずっと続いているような
ふんわりほんわり。

はるだなあ。

はるのからだ というかんじがする。

整体 というのは本来
ぼきぼきぐいぐいやる施術のことではなく
整った体のことをいう。

まっすぐでゆらがないのではなく
のびやかにしなやかに
変わり続ける体。

いのちのちからとともにあるからだ。

立春から春分までは
ちょうど芽吹き前のような
ゆめがたくさんつまったような
そんなふうであれたらいい。

仙骨〜骨盤から
じゅわじゅわと
水が染み出してくるみたい。

花ひらくまえから
香りはじめるつぼみは
こんなかんじだろうか。

より以前の記事一覧

カテゴリー

無料ブログはココログ

占い by いとうより