カテゴリー「心と体」の記事

あたらしい関係性

バーズテキストに追加された
ボディプロセスを
セッションにも取り入れている。

Exit Stage Left は
生死の分かれ目だとか
行き詰まった状況の移行といわれているが

わたしにご縁して受けるひとたちは
肉体との関係性があたらしくなる
というタイミングのように思う
(そうでないひともいるが)

肉体への配慮をふやす
肉体への遠慮をやめる

異常ともいえるこの酷暑
へんな台風、内陸地震、豪雨
記録史上初の異例が続く

地球との関係性は
あたらしいかたちへと
移行せざるをえない

それを個人に落としこむならば
肉体との関係性になるのかもしれない

肉体との付き合い方
扱い方を変えていく

心の落ち込みの仕組みとケア

なにかの出来事で
心が落ち込んだとする

一般的には
出来事のせいで
落ち込んだ、と考える

しかし仕組みからいえば
落ち込んでいるほうが先で
その出来事によって
落ち込みに気がついただけのこと

落ち込んでいるというのは
心身に張りがない状態や
どこかが緊張していたりする状態であり

そうした心身でいると
いつもなら(本来なら)
流せることや
笑い飛ばせる出来事に
かなしくなったり
怒りがわいたり
落ち込んだりする

だから、落ち込んだときには
「ニュートラルではないじぶん」に気づいて
適切なケアをしてあげればよい

じゅうぶんに休むとか
アロマや音楽やお風呂
適度な運動、ストレッチ
映画や小説に没頭するとか

内感愉氣ができればかなり話が早い

気持ちがふさいでしまって
そうしたことに取り組めない場合には
ヒーリングやエネルギーワークも有効

古傷があったり
常態化している場合には
一筋縄ではいかないけれど

飽かず嘆かず
その都度ケアしていくだけ

いつも同じように思えても
かならず、変化は起きている

意識と肉体

瞑想で
意識を
深くしずめたり

イメージングで
広く遠く拡大させたり
するときに

大事なのは
肉体への信頼だ

そのように意識をフルにつかうと
肉体とのバランスが崩れるから

肉体に戻る術だとか
肉体から抜け出さない術だとか

通常のバランスに戻るためのツールを
使いこなせているかどうかで

意識を使いこなす度合も変わる

効率の良い
じぶんにあった
意識の使い方を探究するより

現実世界を生きるじぶんへの
信頼や、熱意を深め
満たされるようにすることで
おのずと、意識はよりパワフルに使えるようになる

深く広く根を張りさえすれば
高く多く枝葉はしげっていく

じぶんのかたちに
じぶんのペースで

自意識(心の学校その9)

わたしが
わたしに
条件を課していた

これができるから
こういう特性があるから
だから
ここにいていい
生きていていい

その条件としていた
意識の使いようを「やめる」
ということを
実現できたのが
去年末の、心の学校(風の学校3日目)

じぶんが
じぶんであることを
手放すかのような

文字通り
自意識 というものを
オフにする体験

あのときの
おそれ
かなしみ
さみしさ

そして静寂

憑き物が落ちたかのようだった

友人が夏の、お盆の、京都での!
心の学校に参加するときいて
過去記事を読み返していたら
あの瞬間の体感が戻ってきたので、メモとして。


話しは変わって
昨日のこと

自宅でひまを持て余して
外壁工事中で瞑想もしづらくて
暑くて外にも出かけたくなくて

オットがいるアトリエ部屋に
なにをするでもなく入ったら

座布団が目にとまって
そのまま無言でぱたりと
うつぶせになった

一瞬の間のあと
オットが
なにそれ。
シュールすぎる!と

たしかに・・・
客観的になったら
ものすごくおかしくなり
涙をながして笑い転げた

オットいわく
自給自足。
そんなにひまなのか!
キミがそんなことをできるようになるとは・・・
いいような、ダメなような、複雑な気分・・・

「そんなこと」というのは
オットの目を気にすることなく
じぶんへの目線もない

つまり夢遊病のような
無意識と一体化したような

自意識のない状態で
行動することを指していて

そう、わたしにはそんなことはできなかった。
酒に酔っているのでもなければ
寝ぼけているのでもない状態で
そんなことはできなかったのだ。

40年以上生きてきて
まだみたことのない自分がいるというのは
まったくオモシロイものだ・・・


=====
心の学校について:
特定非営利活動法人 氣道協会 
http://npo-kido.com/


相手の気を「うける」ということ

ボディワークや
ヒーリングをする側が
受けているひとの
重たいエネルギーを
「うけて」しまい
最中や終わったあとに
調子が悪くなる

というような現象がある。

これについての
私見としては
現象の実態は2種類あって
ひとつは「同情したことによる」もの
もうひとつは「共感・共鳴したことによる」もの

これらは厳密に分けられるものではなく
入り混じることがほとんどだろうけれども


相手の感情や体験への「同情」によるものは
「同情しない」ことでだいぶ減らせるはずである

話を聞いたり
体に触れ、エネルギー状態を知っても
それについて思い入れないということ

アクセスバーズでは相手の話を聞いたり
状態を把握する必要性がないため
思い入れが少なくて済む


もうひとつの「共感・共鳴」によるものは
じぶんの状態を整えておいたり
じぶんの状態を知っておくことで
残響をある程度は減らせると思うが
完全になくすのは難しいだろう

「共感・共鳴」こそが
施術のキモだから

なにかが響いたなら
じぶんのうちにあるものが
相手のそれに反応したということ
影響が長く残るならば
自分ごととして対処するだけである

その点アクセスバーズは
やる側も、受ける側とおなじ電荷があれば
いっしょに放たれると明言されているのが
あたらしいし、わかりやすい

渇望するからこそ

前記事で書いたように
わたしは他者、とくに女性に対して
安心することが苦手だ

しかし、わたしに対して
安心感を抱いてくれるひとは多いように思う

バーズやチューニングをするにあたり
それはとっても大切なことで、ありがたい

傷のあるところこそが
そのひとの才能
キロンを癒すと最大の武器になる
たしかそのようなことを以前どこかで読んだ

実際に、そうなのかもしれない。

安心感を渇望してきたからこそ
なにが安心につながるのか?
分かるのかもしれない

そしてじぶんが渇望してきたからこそ
他者にそれを感じてほしいと願うのだ

引っ越しセラピー

引っ越し先が決まった。

必要条件の優先順位を変えながら
二転三転してきた4か月

友人の助けを借りてたどりついた
最後の手段は
「オットの暮らしの変化や負担を小さくする」
この条件を外すこと。

そうしたら、あっという間に決まった。

かってに、ほとんど無意識に
最優先事項に織り込んでいたこの条件には
じつは副作用があり
わたしの実家との
距離やアクセスを保つのだった。

これを外して
物件がさくっと決まったはいいが
実家との行き来は
ずいぶんとめんどくさいことになった。

直線距離はそう遠くないのに
電車でも車でも
遠回りしないと行けない。


今朝も母がおすそ分けをあれこれ
持ってきてくれた。チャリで颯爽と。
引っ越したらもうそんなことはなくなる。

結婚して家を出ても
ずっと近所だったから
18年続いてきた関係性。

かつては介入にも思えた
母からのサポートも
近年ではずいぶん良い距離感になってた。

ありがたかったなあ。
これからわたしは母の偉大さを
もっと、思い知るのだろう。

母を支えたようなつもりに
すぐ、なるけれど
本当は力をもらってるのは
いつだってこちらだ。


今回の引っ越しは、
わたしとオットそれぞれの、
キロンの癒しにつながっているのだろう。

6室牡羊座のキロン。
オットも牡羊座で4室。

自立すること、一人前になること。
自分であること。
自分のホームにまつわること。

参考: キロンがサインを変えます


このタイミングで
バーズのブラックアウトを体験できたのは、
この部分の癒しが進んだこともきっと大きい。

他者、とくに女性への、信頼と安心感。

母との関係性に葛藤があるのは
月、火星、海王星のアスペクトに出ている通り。

わたしが母に対して安心感を抱きにくいのは、
あくまでもわたしの側のナニカによるものであり、
母のキャラクターに依るものではない。

そしてもちろん、わたしの側のナニカというのも、
責めるべきものでも否定するべきものでもない。

このことが腑に落ちてからが本番。

そして、今回の引っ越しを通じて
実際に行動に落とし込むことになった。


お互いの要求を出し合い
それらを満たす物件は
ちっとも見つからず

二転三転するなかで
それでも共に暮らしていけるのか?
いっそ別居がいいのではないか?
何度もそんな話になった。
苛立ちもつのった。

行き詰った最後の最後に
オットがだした案はふたつ

「2年はキミが決めた家に一緒に住む。
絵描き部屋さえあれば
どんな場所になっても文句は言わない」

「じぶんはここに残って
キミと猫だけどこかに引っ越す。」

そうしてようやくわたしは
オットの都合を無視する権利を
じぶんに与えることができた。(感謝!)


他者に譲歩しないこと
他者の都合を配慮しないこと

安心がなければ
ほんとうの願いや望みを
他者に伝えることはできない。

伝えることはおろか
じぶんの意識にあがることすら無い。

自室が欲しいということも
物件探し3か月目でやっと出てきて
自分としては最大級のワガママが言えたように感じていたが
まだまだ、高望みをする自分が底にいるらしい。

この先はきっとリハビリなのだろう。

なにやら転地療法のように思えてきた・・・

感情に執着する理由

小学校を卒業する3月頃だったか
自室で光GENJIのGraduationを聞きながら
いっしょうけんめい泣いたことを覚えている

卒業が控えているのだから
悲しいはずなのだから
泣くべきだろうと
あれこれ思い浮かべては
悲しさをつくりだし
泣いたのだった

まるで演技の練習である
しかしわたしにとっては
人間修行のような感覚だった

感情的であること
不快感情があること
それが、人間らしさであり
他人とうまくやっていくために
ふつうであるために
大事なのだと思っていたようだ


ここは悲しむべき場面だとか
怒るべき展開だとか
そうした判断をもって
感情を作りだすことは
だれしも無意識にやっているかもしれない

また、感情が生じたときに
それをあえて増幅させ
持続させようとすることもある


感情に執着するのはなぜだろう?

感情にかまけることで
感情を言い訳にして
なにを避けているだろう?

それはほんとうに
感情を理由にしないと
できないことなのだろうか

感情から観念を見つける

不快感情が生じることに是非はない
それをどう扱うのかが大事

他人のせいで
不快感情が生じたのだと
他人にぶつけたり

不快感情にとらわれて
薪をくべ続けたりするのは
マイナスをゼロにしようとする行動でしかない

感情が生じるというのは
なにか摩擦があったということで
つまりそこには「観念」がある

どんな感情が
どんな場面で生じたかを
観察することで
じぶんのもつ観念を知ることができる

観念がわかれば
それを持ち続けるのか
手放すのか
書き換えるのか
選ぶことができる

より生きやすく
たのしく生きるための
セルフメンテナンスであり
アップデート作業である

不快感情の扱い

不安
嫉妬
恐れ
憂鬱
恨み
劣等感

そうした不快な感情が出てきたときは
そこに薪をくべないことが大切

あの時もそうだったとか
あれも気になるとか
芋づる式で探しに行かない
そんなことに思考を使わない

感情はエネルギーなので
意識(思考)というエネルギーを加えると
さらに増大してしまう

不快感情が出てきたら
「気づく」のが第一段階
それだけでも、感情とじぶんのあいだに距離ができる

感情に巻き込まれていては苦しいばかり
あまりに渦が大きく強い場合には
すぐには難しいとしても
とにかく水面から顔をだして、息を吸う
寝てしまうのもいい

不快感情があることを認め
ただ、そのままにしておく
やたらにイジらない
ある。ということを認識したらそれで十分

ほかのことに意識を向けているうちに
いくらか沈静化する
そのまま消える場合もあるし
正体がみえることもある

むやみやたらと消そうとしないこと
感情を抱えるじぶんを否定しないこと
ただ、そのまま一緒にいればいい

応用的に早める方法はあるが
基本は同じことである

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