カテゴリー「心と体」の記事

コーフンを求める性。弛緩と緊張。

山歩きにはまっている。

斜面を上り下りしていると
心拍数があがる。
そしておそらく
脳内麻薬が分泌される。

その体感が
やみつきになるのだな。

 
ほっとゆるんだ状態を味わうために
ハラハラどきどき緊張した状態を求めるのは
ヒトの性なのか。
動物にはなさそうに思う。

スポーツ全般はもちろん
ゲーム
ギャンブル
セックス、SM
小説や漫画を読んだり
映画やドラマを観るのも
そうした側面があるだろう

非現実世界へのトリップ
その世界での疑似体験
現実世界との落差によって得られるもの

アルコールは心拍数があがってハイになったあと
ゆるんでぼーっとするのがキモなのだろうし

買い物も依存症になるくらいだから
どれを買おう?と悩む時間と
買ったあとの達成感、充実感のメリハリなのか


コーフン状態や達成感は
闘争や狩猟の本能からくるのか?
それに伴う嗜虐性も?

そうしたものを
どれだけ平和に穏便に
解き放つのかが
人間性につながるのだろうか。

衝動を抑え込めば
どこかに余波が出てしまう
それよりも、どう扱うか?
そこに知恵を使いたい。


未来言語を現代語に訳す

体の外で起こる問題解決ばかり習って、 自分の全体性の仕組み知らずに生きてますからねワタシたち。

ほんとうのさいわいとは その3
ボディーワーカー小笠原和葉オフィシャルブログ
https://ameblo.jp/kazuhaogasawara/entry-12410558043.html


整体に触れて
身をもって知った
全体性の仕組みを

できるだけカジュアルに
だれにでも使える形で
伝えるにはどうしたらいい?

その問いかけへのこたえが
わたしにとってのアクセスバーズ。

だから、わたしがやる1日講座には
身体と意識の話もおのずと入ってくる。


わたしのクラスの強みはとにかく、
現実的で実用的なことだろうと思う。

いろんなツールを、
どんな場面でどんなふうにつかうのか。

アクセスの世界観、視点を
これまでの常識をふまえたうえで、
どう捉えて、どう扱うのか。

テキストにのっている
抽象的なあれこれを、
現実の具体例に落とし込む。
未来言語を現代語に訳すような感覚。

それが出来る。と思えたからこそ、
ファシリテーターの申請をしたのだ。


バーズの概念は
いままでの常識とは
べつのところからきている。

土台がちがうから
どうしたって未知で
つまりあやしいものでしかない。

そんな世界に入ってきてもらうには
バーズはあやしいけど
わたしがあやしくない
というのも、大事になるのだろう

何年か前、高校からの友人に
SNSでみてるとヤバイひとだけど
会ってしゃべると前と変わらない
ふつーだよねーと言われたことがあるな

それは彼女のポイントオブビューだが
なにかヒントになるかもしれない


廃品回収/正しさ、賢さへの執着

今日の廃品回収に
ついに古着をだせた。

夏の間だしそびれていて
今日だって直前になって

これはやっぱり
リサイクルショップに持っていくべきなのでは
こっちは、あの団体に寄付するべきなのでは
これは綿100だから
細かく切って台所用ウェスにすべきでは

などと往生際悪く迷ってるうちに
トラックがきてしまったので
いちどあきらめたのだが
積み込みに時間がかかっているのをみて
あわてて、くくって、持って行ったのだった


10年前に比べたら
ずいぶん迷うことが減って
決断が早くなったと自負しているが
捨てるのはやっぱりいまもつまづく

地球のために
社会のために
資源を大事に
ものは大切に
有効活用する
使えるだけ使う
活かしてあげる

この観念は根深く、手強く、
なんでもかんでも普通ゴミとして
あっさり捨ててしまえるひとは
さぞかし軽やかだろうと思う

いま住むエリアは普通ゴミが有料なので
ゴミとして出す物は減らしたいと思っている
これもまた、ひとつの観念


物がわるくなければ
フリマアプリに出せば
小銭にはなるかもしれない
などとも思うが
手間と天秤にかけると
メリットはないので
この選択肢はだいぶ前に捨てた
(けれど、毎回、浮上はしてくる)


今回は、普通ゴミを減らしたい
節約魔の言い分も取り入れて
着古したものは廃品回収に

靴(新品同様、回収対象外)は
リサイクルショップに
ついでに劣化していない服数点も

勢いで買った、流行とは型のちがう
しかし物はよいロングコートや
好みの布地のアジアンワンピ類は
もうしばらく手元に置いておくことにした


なんでもかんでも
潔くぱっぱと決められたら。
そう憧れもするが
ああでもないこうでもないと
迷うのがわたしの趣味でもあるし
物持ちの良さも、気に入っているので
このあたりが妥当なのかもしれない

なんにせよ、懸念(古着)を片付けられてよかった!

安心をつくる

安心とは
安らいだ状態
体感のひとつ

安心を得るために
不安な状態を用いる必要はなく

安心がほしければ
自分の身体のなかのどこかに
その体感、気配を探して
それにフォーカスすれば良い

そんなのは擬似的な安心だと
アタマはいうだろう

だって仕事が
だってパートナーが
だってお金が、家族が、体調が…
安心してはいけない理由を
いくらでも見つけるだろう

しかしそれらは本当のところ
安心とは関係がない

どんな状況であれ
あったかいものを飲めばほっとするし
あったかい風呂につかればゆるむ
それが身体というものだ

身体から先に
安心になればいい

状況を変えるより
ずっと早くて簡単
誰の協力もいらない
自分の範疇だ

身体が安心していたら
現実はそれについてくる

その現実とは
アタマが思う
安心な状況とは違うかもしれない

けれど、欲しいのは状況ではなく
安心した状態なのだから
かまうことはない

誰になんと言われようと
本人が安らいでいるなら
それが安心である

状況と状態は連動しない
状態はいつでも自分で作り出せる
コントロールできる

作れるだけの胆力は必要である

ゼロも、1も。

わたしはどうしても
天心(無)を目指す

どこまでも細やかに
どこまでもたいらかに

しかし、事を為すのは
1(有)のエナジーだ

粗さゆえに動きをもつ
直截的な響き

わたしは粗さを恐れる
その影響を、反応を恐れる

しかしこの有限の三次元では
粗さも使いようなのだ

これを使えなくては
得られないものがある

見られないものがある

粗さを使うことで
細やかさが使えなくなることを
懸念している節もあるが
それらは両立できるのだ

見落とす事もあろうが
それも、まもられている

この先は両刀でいい

あえて粗くする
対症療法的な対処も
じぶんに許可しよう

あたらしい関係性

バーズテキストに追加された
ボディプロセスを
セッションにも取り入れている。

Exit Stage Left は
生死の分かれ目だとか
行き詰まった状況の移行といわれているが

わたしにご縁して受けるひとたちは
肉体との関係性があたらしくなる
というタイミングのように思う
(そうでないひともいるが)

肉体への配慮をふやす
肉体への遠慮をやめる

異常ともいえるこの酷暑
へんな台風、内陸地震、豪雨
記録史上初の異例が続く

地球との関係性は
あたらしいかたちへと
移行せざるをえない

それを個人に落としこむならば
肉体との関係性になるのかもしれない

肉体との付き合い方
扱い方を変えていく

心の落ち込みの仕組みとケア

なにかの出来事で
心が落ち込んだとする

一般的には
出来事のせいで
落ち込んだ、と考える

しかし仕組みからいえば
落ち込んでいるほうが先で
その出来事によって
落ち込みに気がついただけのこと

落ち込んでいるというのは
心身に張りがない状態や
どこかが緊張していたりする状態であり

そうした心身でいると
いつもなら(本来なら)
流せることや
笑い飛ばせる出来事に
かなしくなったり
怒りがわいたり
落ち込んだりする

だから、落ち込んだときには
「ニュートラルではないじぶん」に気づいて
適切なケアをしてあげればよい

じゅうぶんに休むとか
アロマや音楽やお風呂
適度な運動、ストレッチ
映画や小説に没頭するとか

内感愉氣ができればかなり話が早い

気持ちがふさいでしまって
そうしたことに取り組めない場合には
ヒーリングやエネルギーワークも有効

古傷があったり
常態化している場合には
一筋縄ではいかないけれど

飽かず嘆かず
その都度ケアしていくだけ

いつも同じように思えても
かならず、変化は起きている

意識と肉体

瞑想で
意識を
深くしずめたり

イメージングで
広く遠く拡大させたり
するときに

大事なのは
肉体への信頼だ

そのように意識をフルにつかうと
肉体とのバランスが崩れるから

肉体に戻る術だとか
肉体から抜け出さない術だとか

通常のバランスに戻るためのツールを
使いこなせているかどうかで

意識を使いこなす度合も変わる

効率の良い
じぶんにあった
意識の使い方を探究するより

現実世界を生きるじぶんへの
信頼や、熱意を深め
満たされるようにすることで
おのずと、意識はよりパワフルに使えるようになる

深く広く根を張りさえすれば
高く多く枝葉はしげっていく

じぶんのかたちに
じぶんのペースで

自意識(心の学校その9)

わたしが
わたしに
条件を課していた

これができるから
こういう特性があるから
だから
ここにいていい
生きていていい

その条件としていた
意識の使いようを「やめる」
ということを
実現できたのが
去年末の、心の学校(風の学校3日目)

じぶんが
じぶんであることを
手放すかのような

文字通り
自意識 というものを
オフにする体験

あのときの
おそれ
かなしみ
さみしさ

そして静寂

憑き物が落ちたかのようだった

友人が夏の、お盆の、京都での!
心の学校に参加するときいて
過去記事を読み返していたら
あの瞬間の体感が戻ってきたので、メモとして。


話しは変わって
昨日のこと

自宅でひまを持て余して
外壁工事中で瞑想もしづらくて
暑くて外にも出かけたくなくて

オットがいるアトリエ部屋に
なにをするでもなく入ったら

座布団が目にとまって
そのまま無言でぱたりと
うつぶせになった

一瞬の間のあと
オットが
なにそれ。
シュールすぎる!と

たしかに・・・
客観的になったら
ものすごくおかしくなり
涙をながして笑い転げた

オットいわく
自給自足。
そんなにひまなのか!
キミがそんなことをできるようになるとは・・・
いいような、ダメなような、複雑な気分・・・

「そんなこと」というのは
オットの目を気にすることなく
じぶんへの目線もない

つまり夢遊病のような
無意識と一体化したような

自意識のない状態で
行動することを指していて

そう、わたしにはそんなことはできなかった。
酒に酔っているのでもなければ
寝ぼけているのでもない状態で
そんなことはできなかったのだ。

40年以上生きてきて
まだみたことのない自分がいるというのは
まったくオモシロイものだ・・・


=====
心の学校について:
特定非営利活動法人 氣道協会 
http://npo-kido.com/


相手の気を「うける」ということ

ボディワークや
ヒーリングをする側が
受けているひとの
重たいエネルギーを
「うけて」しまい
最中や終わったあとに
調子が悪くなる

というような現象がある。

これについての
私見としては
現象の実態は2種類あって
ひとつは「同情したことによる」もの
もうひとつは「共感・共鳴したことによる」もの

これらは厳密に分けられるものではなく
入り混じることがほとんどだろうけれども


相手の感情や体験への「同情」によるものは
「同情しない」ことでだいぶ減らせるはずである

話を聞いたり
体に触れ、エネルギー状態を知っても
それについて思い入れないということ

アクセスバーズでは相手の話を聞いたり
状態を把握する必要性がないため
思い入れが少なくて済む


もうひとつの「共感・共鳴」によるものは
じぶんの状態を整えておいたり
じぶんの状態を知っておくことで
残響をある程度は減らせると思うが
完全になくすのは難しいだろう

「共感・共鳴」こそが
施術のキモだから

なにかが響いたなら
じぶんのうちにあるものが
相手のそれに反応したということ
影響が長く残るならば
自分ごととして対処するだけである

その点アクセスバーズは
やる側も、受ける側とおなじ電荷があれば
いっしょに放たれると明言されているのが
あたらしいし、わかりやすい

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