カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

確信に変わる時

自分が
漠然と
ぼんやりと
なんとなく
感じていることを
信じるのは
とても孤独。
それでも
ないがしろには
できない。
信じて
確かめて
繰り返し
確かめて
研ぎ澄ませていく。
外界から
それが
やってくるのは
臨界点に
達した時なのかな。
現実化。
答え合わせみたいで
とても救われる。
泣けてきたりする。
ほっとする。

頭は天に、足は地に。(4年目のアクセスバーズ)

頭は天に、足は地に。

オーラソーマ・イクイリブリアム B065 の名前。

初めてコンサルテーションを受けた時
選んだ(キネシで)のがこれだった。
何本目だったかは忘れたけれど
この名前は時々思い出す。


アクセスバーズがついに
メジャー雑誌に掲載されたという。
エル・ジャポン12月号
「私たちの”ヘル活” AtoZ」の、Aとして。

それを知った昨日は
はじめての場所で
はじめてのイベントバーズ

自分で主催する形では
初期に2回ほどやっているけれど
人様のイベントに、バーズで出るのは、初。

普段は講座などをやっている
レンタルスペースのオーナーさんと、
出店者でもある友人が
訪れるスペース常連さんたちに
バーズの良さを伝えてくれる。

すでに信頼関係のある
顔見知りから伝わる情報ほど
力のあるものはない。

わたしが百の言葉で表しても
まったくかないようがない。

わたしの直接の知人は
だから、わたしの言葉と行動で
バーズに興味を持ってくれたのだ。

その、もうひとつ先に。広げたかった。

一部では、すでに、
その先が現れていたけれど
あとがなかなか続いて来なくて
ほとんど諦めかけていたところに

「あと」が、やってきた。
しかも、目の前で展開した。


わたしが届けたかった
日々を懸命に暮らす
「普通の女性・お母さんたち」が
なんだかわからないままに
仰向けに横たわって
施術を受けてくれて

20分後、蒸気した頬に
ぱっちりした目で、起き上がる。

ああ。そうだった。
これが、バーズのパワフルさ。
忘れかけていた。
慣れてしまっていた。

たったの20分。
さわりしかやってない。
それでも。変化が体感できる。

だんだんリラックスして
おしゃべりしたり
日常でできるケアを伝えたり
静かな時間を味わったり・・・
かろやかな面持ちで、帰っていく


わたしにとってバーズは始めから
コミュニケーションのきっかけ
伝えたいことを
伝えたいひとへの
目印の旗、でもあった。
それを探していて、出会ったツールだ。

それが、はじめて本格的に機能した!

3年半、コツコツ続けてきてよかった。
これだ!と感じた自分の勘を
信じてきてよかった。

ボディプロセスや上位クラスに
次々参加する人たちを横目に
バーズだけをやってきてよかった。

バーズだけでも、
これだけの効果があると伝えられる。
あれもこれもやらなくていい。
増やさなくていい。
一度習えば、家族に、友達同士で、いつでもできる。


あまりに感慨深くて
帰り道、しみじみ泣いた。
おいおい泣いた。そして

地に足をつけてきて、よかった。

そう湧いてきた。
そうか。それ、頑張ってたのか。


バーズの世界観は宇宙的で
思考を休ませ、ひらめきに任せる
その状態はさながら、頭は天に。

けれども、浮世離れした
ハイテンションな
あきらかにミラクル満載な日常を
目指すことはしない。

日々の炊事家事を丁寧に
与えられた仕事をひたすらに
何気ないすべてが
これまでの日常すべてが
いつだってミラクルなのだと

なにひとつ暮らしを変えないまま
ミラクル満載な世界にいけるのだと

伝えるには。

わたし自身が、そうであること。
それ以上に説得力のあることはない。

たとえ言葉にしなくても
言葉そのものが届かなくても
そうした「意識」や「状態」は
伝わっていく。言葉以上に。

だから、足は地に。


エネルギーの世界では
光の速さで実現することが
肉体の世界では
牛歩どころか
蟻の歩みほどに感じられる。

意識の変化が
現実になるまでの
タイムラグに
どれだけ耐えてきたのか

解放されて、気がつく。

バーズにこだわり続けてきた
自分を、心底、称えた。


バーズに出会ったのは2015年4月
革新の星・天王星が牡羊座の終盤にあり
土星は蠍座の終盤

2011年から自分の在り方を探りつつ
意識エネルギーと身体性の相関を
探求し、土星蠍でさらに深まり
その頃に出会った人たちとの
様々な関係性から求めたものが
結実したのが、バーズだった。

2015年9月、土星が射手に入り
つい先日、木星が蠍から射手に。
まさしく、探求を終え、飛び立つ頃合い。

今年5月に牡牛座入りした天王星が
来年3月まで牡羊座に戻っているタイミングは
藤沢に引っ越して
フットワークが軽くなり
バーズへの気負いも期待も
程よく抜けたところでの、広がりといえる。


やはり叶うことしか、願わないのだ。
そのタイムラグに、どれだけ耐えられるか。
どのようにたのしんで過ごせるか。
自分を信じていられるか。
これは、蠍の置き土産のようだな。

この数年やたらめったら
時間の経過を遅く感じていたのは
エネルギー世界の感覚でいながら
肉体世界を生きていたからなのかもしれない。

入れ込む

他者との間に
ネガティブ転移が起きて
ディスられることについて

最近の仕事では発生しないか
しても気がついていない可能性大

しかしプライベートでは
何回か、発生している
小さなものはスルーした上で
自分をクリーニングすれば済むが
大きなものだと年単位でパターン化していた

母性のようなそぶりで
相手の心理に介入する悪癖

お互いの役割とはいえ
相手の方には
申し訳なさと感謝と・・・

他者へ入れ込む習性は
もっと平和に活用したいところ

できれば他者を巻き込まずに
違う方向で使いたい

まな板の上の鯉に手を出さない
据え膳を喰わない
入れ込み過ぎない

そのためにも
健全なエナジー循環を
日頃から心がける

仮に相手の(暗黙の)賛同があったとしても
自分の力をはかるかのように
相手に関わる無礼は避けたい

他者との関わり全般に
そういうキライがあることに気づいている
そんな自分にうんざりもする

仕事として成り立っている上で
転移が発生している方が
関係性としてはずっと健全である

力の使い方
使いみち
使いどころ
尽きることのないわたしの課題

他人を信じるとは

他人を頼ることができず
なんでも自分でやってしまう

他人を傷つけないよう
荒立てないよう
自分さておき
場をなごやかにする

どちらも他人を信じられていない

それはひいては
「身体の叡智」を
信じられていないということ


みずからの肉体の
他人の肉体の
それぞれにある
それぞれのための叡智に
誰しもがアクセス可能で

その叡智こそが
すべてを担っている

傷ついても
傷つけても
振り回されても
振り回しても
その対処法も癒し方も
その理由や目的も
身体がぜんぶ知っている

そのことをじぶんが身をもって知っていたら
他人も肉体をもっている以上は
それが可能なのだと
そこに委ねていいのだと
信じることもできるように思う


幼少期から
他人と違う感性で
社会に違和感をもって
生きてきていると
他人を信じることは難しい

じぶんと同じように
対処が出来るとは思えず
じぶんが、かぶってしまう
引き受けてしまう

他人に振り回されることも
他人を振り回すことも
躊躇する
億劫になる

ひどく傷ついて
ひどくくたびれていて
肉体への不信感がぬぐえない

なにか慢性的な持病があれば猶更だろう

肉体とじぶんが別の生き物のような
肉体はまるで他人のような
そうした感覚かもしれない


思考が現実をつくる
現実が観念をつくる

このサイクルは
変えられる?
どうやって?

夢メモ

明け方、猫のエサコールで起きてから
また1時間ほど寝た時に見ていた夢

母と妹と私で作文の授業に参加している
母は妹につきっきりで
私はちいさな郷土菓子を並べたり積んだり
授業そっちのけで遊んでいて
講師に怒られるが、理不尽だと思う
作文の準備にそんなに時間をかけなくたって
書こうとおもえばすぐに書けるのだ
あとでいくらでも追いつく
かったるい下準備になど付き合いたくない
そんなような感じだった
そうこうするうちに妹が体調を崩し
ちかくのスパへ療養しに行くという
いちど家(実際の家とは違う)に戻り
支度をして、出かけていく
母はやはり妹を心配そうにみている
父(容姿は実父とちがう)とわたしが
なぜだか、諍いになる
羽交い締めにされ
触るな気持ち悪いと叫ぶ
抜け出し、窓枠にぶらさがり、
迫ってくる父の胸のあたりを
両脚で蹴り返している

そんなような夢
体感がとてもナマナマしかった

社会の理不尽さにくたびれて
動けなくなっていた頃のことを
この数日、思い出していたから
おそらくその象徴としての、講師や父なのだろう

浅い眠りの夢に出てきたということは
当時のエナジーが浮上してきたのだろうな
夢として体験することでおそらく昇華できているだろうが
念のためクリアリングもしておいた

星読みブログをみたら
キロンがまた魚座にはいったところらしい
もう記憶も感覚もうすれるくらい
遠い過去になった痛み

あらがったり、叫ぶということは
当時のわたしには出来なかった
じぶんに言い聞かせてなだめながら
愚痴をいうのがせいぜいだった

真っ向から戦える健全さが
じぶんのうちにあってよかった

わたしはそれを知っている

誰かの語る痛み
誰かの語る葛藤
誰かの語るもどかしさ
誰かの語るくるしさ
それらを
わたしは
知っている
この身をもって
知っている

そして時に
まったく知らないこともある
それが生きるよろこび

めんどくさい病の原因と対策

なにをするのもめんどくさい
あれも気になる
これもどうにかしないと
あっちはどうなってたっけ
ああでもなにもしたくない
めんどくさいめんどくさい
ああじゃないこうじゃない考えるのだって
ほんとはめんどくさい
ああもうなにもしたくない

そんなふうだった頃があった

いまだからわかる
あの頃わたしは虚していたのだ

めんどくさい
なにも決められない
動けない
動き出せない
やるかやらないかも決められない
決めるのもめんどくさい

そんなふうだった頃のわたしは
じぶんにネガティブな意識ばかり向けていた

またさぼってる
みんなやれてるのに
そんなこともできないのか
もっとできるはず
そんなんじゃダメだ
生きてる資格ない
地球のお荷物

ひたすらじぶんをけなしていた

じぶんを褒めることも
認めることもなかった
じぶんのために
ちょっとした時間をとって
ちょっとした気力体力をつかって
ストレッチすることすら億劫に思えた
じぶんに手間ひまかけるなんて
大それたこと許されない
一人前になってからやること
そんなふうに思っていた

どんなにめんどくさくても
めんどくさいながらも
なにかはする
誰かと話したり
食材を買ったり
布団に入ったり
そうしてなにかするたびに
じぶんをけなす
やれてあたりまえ
こんなんじゃまだまだ
そんなことしかできないのか

これではエネルギーを使いっぱなしで
補充ができないどころか
みずから穴をあけているようなもの
そうして虚した状態が続き、またはさらに虚し
ますますめんどくさい病が悪化する

虚した状態とは
ハラに力のない状態
それでは決められないのも
すべてがめんどくさいのも
あたりまえなのだが
そんな状態であることを責めるばかりで
じぶんがそんなにも虚しているとは思いもしない

だって五体満足だし
風邪もひいてないし
どうみても健康だし
それなのに動けないのは
なまけているだけ
そんなふうに考えておわり

あの、虚のサイクルを抜けるに至った
直接のきっかけは覚えていない
ただ、ちょっとずつ、試していった
半信半疑のまま
じぶんを褒めてみたり
半信半疑のまま
賞賛に耳を貸してみたり
この程度のじぶんでもいい、という証拠を
ちょっとずつ、現実のなかで
いつもと違う選択をして
確かめることで、集めていった
じぶんがじぶんであることをゆるすプロセスだった

いまはもう
めんどくさい病には
めったにかからない
ちらっと片鱗がみえたら
じぶんに善い氣をむける
めんどくさがっていることや
動かないことを
じぶんに許可して
そこまでに至ったじぶんをねぎらい
褒めたり
励ましたり
それでだいたい病はきえる

終わらせること

”いつの間にかお客様ファーストとか関係者ファーストみたいなことになって、あっという間に自分の本音を見失う。やがてすべてが面倒臭くなり、やがてすべてを投げ出したくなる。その繰り返しだ。”

”初心に還れ。それでもダメなら土に還れ。”

http://ibaya.hatenablog.com/entry/2018/09/02/103348


死を、終わりを、避けようとしない人間を
御することは、難しいだろう。

終わらせることを躊躇って
ぐずぐずしていた過去を思い出す。
そして憎まれ役として現れた上司のことを。

ああそうだ
あのひとを憎むことで
わたしはやっと
未練を断ち切れたんだった。

救世主だったんだ。

そうやって
いろんなひとや出来事や状況のせいにして
たくさんの選択をしてきたことを思う。

ここから先の人生ですこしでも恩返しができればいい。

感情ストレッチ/イライラはチャンス

昨日は洗濯するにも
アスレチックに行くにも不向きな
雨の降りそうな曇天で

なにをしようか?
なにをするとじぶんがたのしい?
問いかけつつ、情報チェックしてたら
レディースデー!
「カメラを止めるな!」
気になってるんだ。
見にいこうか?
行くならどこへ?
小田原か海老名
来週から隣駅でもやるけど
来週水曜は仮予定があるし
月末までのクーポンを使える靴屋にも行きたい
などなど考えながら

まずは月イチの皮膚科に行き
ランチたべながら路線検索
特急に間に合ったら海老名かな
でもやっぱり地元で買い物
でもでもやっぱり今日でしょ!!飛び乗る

小田急と相鉄線を乗り継いで海老名へ
映画をみるために
時間と交通費かけて
レディースデーだからいいのだ。


そして、誰かに会うとかじゃなく
じぶんひとりの純然たる遊びのために
電車乗り継いで行くなんてことが
できているじぶんに、感心する。

ずいぶん長いこと
やってこなかったと思う。
なぜかわからないけれど。

効率より欲を選べるのって健全


20年ぶりたぶん2度目の海老名
ビナウォークの広大さにビビる。
映画、間に合うだろうか
不安になりながら足早に移動
チケットの列に並ぶ
開演前に入れた
平日なのにほぼ満席

映画はもうなんともかんとも
とにかくすごかった。
すばらしかった。
エンターテイメントの
あらゆる要素が入っている。

『カメラを止めるな!』を絶対に観るべき8つの理由!https://cinema.ne.jp/recommend/camera2018062210/

おわって呆然
頭くらくら
喉からから
ドトールでアイスティーがぶ飲み
半券チケットサービスあとから気づいた
いつもならぜったい見落とさない

しばし休憩ののち
調べておいたクーポンが使える靴屋の系列店へ
藤沢の店舗より広くて品数豊富
サンダルだのスニーカーだの4足まとめ買い
これで今ある少々窮屈なのだとか
くたびれてきたのだとか一掃できる


帰りの電車で
世界への感謝が戻っていることに気づく。

火星逆行・留・順行に表される
このところのエネルギー停滞

山歩きで身体ほぐして
じぶんのペースを堪能して
ずいぶん良い感じになったけれど

イライラが続いたことで
心が硬くなってたみたいだ。
映画での喜怒哀楽がマッサージになったらしい。

夜はばったりyogiboで寝落ちして
気づけば朝だった。
寝落ちしても夜中に起きるのが常。
喜怒哀楽って疲れるんだな。

今日もまだ映画の筋や人物が
脳内をうろついている。
フィクションから抜けられないのは
よくあることだけれど、
劇中劇だから余計にめちゃくちゃ。
まあしかしこれもトリップの醍醐味だ。


ことしの課題は「遠慮しない」のようで
引越しもそれがあるうちは進展しなかったし
今回のイライラでは
じぶんのペースで動きたい!という本音を見つけた。

これまで、だれかと一緒、を好んできた。
記憶や体験を共有するひとがいたほうが
あとで語りあうこともできる。
移動中も退屈がすくない。
ひとり旅は緊張してたのしめなかった経験もある。

だから、一緒がいいのだと、思ってきたけれど
じぶんのペースで動くたのしさも
それはそれで良いものだった。

過去は過去
いまはいま
同じようになるとも
同じように感じるとも限らない

イライラするとき
相手や事象はただのきっかけ。
エネルギーが流れず停滞しているから
それが起きているだけで
元はと言えば
なにか我慢、無理、遠慮してることがあり
流れをせき止めてしまっているだけ。
気づいて、やめると、どれだけ窮屈だったかがわかる。

もっとおおきく
もっとのびやかで
ゆたかな流れへのチャンスとなる。

覚書:うまくいってはいけない

ふと目に留まり
久々に読んだ
子宮委員長はるちゃんブログ
https://ameblo.jp/jj-haru/entry-12400884749.html


> しかも、お金かからないじゃない。

> でもだからこそ、
> やらない人、続けられない人が
> いると思うのよ。

そうなのだ。
簡単で手軽でいつでも誰でもできる
しかし地道な方法というのを人は避ける。


> 自分という資源だけで、
> うまくいってはいけない。

> 自分だけ幸せで
> あってはいけない。

これ、根強い観念として
持ってるひと多いだろう。
わたしもまだある。


以上、覚書として。


より以前の記事一覧

カテゴリー

無料ブログはココログ

占い by いとうより