カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

こんなときだからこそ

おとといの晩から
立て続いた
人と会う流れ
しゃべり食べ笑い
そしてぱったり
雨音だけの静かな今朝

降りしきる雨
散歩に出る気にもならず
いっそ仕事に行こうかと考えながら
うとうとひとねむり

キャロットケーキをつくろうにも
材料が足りなくて
雨は降り続いて
思いつきの塩風呂タイム

風呂はいつだって
リフレッシュになるけど
日常に組み込むと
どうしたって
時間だとか
あとの予定(ごはん支度やら)が
あたまのどこかにあり

今日みたいに
風呂のためだけの時間
というのは
ちょっとした贅沢

窓をあければ
顔だけひんやり
露天のよう

まだガスが止まったままの
関西の友人に思いを馳せ
しかしこんなときだからこそ
尚更ていねいに
じぶんが手にしているものを
あますところなく
ありがたく
いただく

風呂上がり
クルタ一丁
畳でごろごろ
となりで猫もごろごろ
おうちリトリート

髪をかわかしたら
アロマスプレーで
フローリング掃除

おわる頃には
すっかり小降りの雨
お天気との連動はよくあること

おとめ座上弦の月にふさわしい
メンテナンスの半日であった

カオスと秩序と法則

オットいわく
「情報や感情の共有の
スピードが速くなって
よりカオスになった」

SNSをよく見るひとは
カオスのなかにいると言っても
過言ではない

考えさせられるような出来事に
いくつも遭遇しているうちに
思考は空回りしはじめて

考えているフリだったり
いや、もしかしたら
考えたくないからこそ
カオスに身を投じているのかも

だって考えても考えても
どうにもできない
妙案は出てこない
一発でぜんぶをきれいにする魔法はない

もうどうしたらいいかわからないから
無力な自分への言い訳のように
カオスのなかに居続けるのかも

カオス
混沌
秩序のない世界

しかしそこには
歴然として法則はある

秩序はなくとも
法則はある

そのことについて
シェアしたいんだよ

こんな世界で

虐待による子どもの死亡
著名人たちの自殺
思いがけない大きな地震
たくさんの出来事が日々起きる

こんな世界はもういやだ
胸をいためるひと

なにかしなくては
立ち上がるひと

わが身を振り返るひと
いろいろな反応が起きる


こんな世界の一員として
わたしが見つけた方法を

どうしたら伝えられるだろう?

そのこたえが、アクセスだった。

わたしにとってあれは
ただのハンズオンテクニックではなく
物事への考え方、捉え方、向き合い方。

伝えたいのは
その、エネルギー。

そしてそれをカラダから呼び覚ますために
バーズというエネルギーワークがある。

災封じの術

あしたから友人が同居。
引っ越し直前だというのに
申し出る方も
受け入れる方も
ちょっとどうかしてる…かもしれない。
だからこそ、OKしたのだが。

ホームステイを受け入れる感覚。
プレッシャーが、ないわけじゃない。
ある種のストレスとも言える。

でも。適度な負荷は、日常に必要不可欠。
積極的に、自分好みのやつを、取り入れていきたい。

それをサボると
よけいめんどくさいことが起こりがち。
↑学習した。

変化をさそう声は
周りからもたらされることも
じぶんのうちから起こることもある。

スルーすることもできるけど
形をかえてやってきたりするし。

回転寿司みたいなものかな?
炙りはいやだけど
軍艦ならいいよ、とかね。

願いの具現化

現実が変化する。
願いが形になる。

というのは

エネルギーが先に変化して
仕上がったことの結果。

ふとそれが体感としてわかった。

引っ越しは来月だけれど
エネルギーの引っ越しは
昨日おわったみたいだ。

ご近所になる友人とランチして
駅から物件に歩いてみたこと
引っ越し日を決めたこと

あとは、現実を合わせていく作業。

安心できないのは

母や
女性や
他人と一緒にいて
めったに安心できないのは

じぶんの身を案じているというよりも
まもらなくては。という意識からのようだ

有事に備えている、らしい。

それはつまり
相手をじぶんよりもちいさく見ていて
相手の力を信頼していないということでもある

それが良い悪いではなく
ただ、それがわたしのデフォルトなのだ

そして、それは変えられるのだ


追記:

仮に相手がちいさいとしても

自分でまもるのでなく
宇宙にまかせるのもアリなのだな

ひとりで完結させない。抱え込まないこと。

ひとでも場所でも

生後二ヶ月から
42年暮らした町を
離れるとなったら

案の定
きもちが不安定になり
なにかといっては泣いている

嫌いだから
イヤだから
離れるわけじゃない

感謝と好意が押し寄せる

ぜんぶだいすきだったし
だいすきになろうとしてきたし
結果だいすきになったし

そんな自分を誇りに思う
だけど、だから、離れるんだ

かつて
仲良くしていた人と
距離をおいたときも
いつも、こんな感じだった

対象が
人でも
土地でも
変わらないあたり
じつに、わたしらしいなあ
などと思う

そして、こんな感傷も
すべて過ぎていくのだ

ゆるしてくれるすべてに感謝を。

必要なスペース

物件に求めていた条件
ひとつ、足りてなかったことに気づいた
3ヶ月もジタバタしてようやく

海のちかくだとか
東京湾を離れるとかは
それに比べたら
ちっとも重要ではないから

ずっと探していたエリアに
しばられるのをやめて
あらためて、検索している

いまの家の
前の所有者は4人家族で
姉弟が大きくなって
部屋数が足りないために
戸建に住み替えた

わたしの住み替えは
眺望がなくなったこと
元々、風呂に窓がほしかったこと
ついでなのでこの土地を離れてみたいこと
そんな理由だったのだが

ここへきて
オットの絵描き部屋と
さらにわたしのフリー部屋が
それぞれ必要なのだとわかり
やっぱりこの家では
部屋数が足りないのであった
(厳密にいえば数自体は足りているが
間取りに不都合があり、結果足りない)

うちは子ナシ夫婦だが
この17年で
それぞれのインチャが育ち
それぞれの世界ができ
それぞれに場所が必要になったようだ

目には見えないけれど
スペースを要するナニカを
オットも、わたしも、育ててきたのだな

オットはそれを
目に見えるかたち=絵画にしている

わたしのそれは
ときどき、あらわれる

だからどうしても必要かといわれたら
言い切るのは難しいのだが

その、ときどきあらわれるものを
即座に受け入れられることが重要なのであり
そのためのスペースを確保することは
わたしにとって、生命線にちかいようだ

鬼門にある寺

いまの家(マンション)に住んで
15年目なのだが
とつぜん、気が付いた。

うちのベランダは南西向き
玄関横の洋室の窓は北東向き

その洋室の窓から
称名寺の裏山が見えるのだが
もしかして
称名寺そのものが
真正面あたりだろうかと
昨日、ふと気が付いて
地図を確認するとやっぱりそうで

今朝またふと
方位を確認したら北東で
北東とは鬼門なのであった

うちから称名寺は鬼門にあたり
称名寺からうちは裏鬼門になる

わが家は称名寺(北条実時さんの菩提寺)に
守られていたといえるし
鬼の通り道にあるともいえる

夏になると外階段や廊下に
甲虫やセミがやたら転がっているのは
そういうことだったのか

この延長線上に去年、区役所ができて
(建て替えで場所がすこしずれた)

いまは、眺望をさえぎる
11階建ての大規模マンションが建設中
300戸以上が秋には完成する

お役御免というところか

鬼門にあたる洋室は
ほとんど納戸として使ってきて
たまに片付いて
ゲストルームになったり
アトリエになっても
どうしてもまた納戸化するのが常だった

それを徹底的に片付けて
シェアルームにしたのが去年秋
わが家はようやく通りがよくなったわけだ

あの部屋に積まれていたものたちは
重石かブレーキだったように思える

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引っ越す と決めてから
文庫でバーズする機会が増えている
土地とリンクしたカルマ浄化の仕上げのようだ

文庫に根をおろしていたのは
見つけてもらいやすように。
という意図があったような気がしている
誰に?なんのために?は、わからないが

いまや、みんな感度があがって
場所を固定しなくても
ちゃんと見つけてもらえるだろう

妨害電波が減った・・・というよりは
雑音のすくない周波数まであがった
音がとおりやすくなった
拾ってもらいやすくなった
そんなことを感じている


・・・・・
こうして今更になって
地理的なことにあらたに気が付いているのは
今週のゆかりさん週報にぴったり


育った町の氏神様が
ふいに判明したのは先月である

オットの産土さまと
おなじ神社に合祀されていたのであった

なんどか足を運び
由来の看板も読んでいたはずなのに
なんでか、把握できていなかったのだ

ちなみにその神社は
津波被害にあった近隣の町から
移り住んだ住民の氏神様である

覚書として。

バーズとのナレソメ

未体験のまま
アクセスバーズ講習に
参加したのが
2015年の4月末だから
そろそろ3年になる

場所を使わないか?というお誘いから
はじめてイベントを主催したのが2011年3月11日
アートとヒーリングと「居場所」がテーマ

翌4月、自己啓発とスピリチュアルのないまぜになった
合宿に参加したところから
そういった友人知人が一気に増えていった

年末には氣道協会にはいって
身体について学び始めてもいる

おおきく感情を揺さぶられる経験から
今後の生き方、方向性が洗い出され
ほんとうにみたいもの 
体験したいこと やりたいこと を
全細胞で知覚したのも、この年

その後遺症を癒す過程で
セクシュアリティワークに関わったのが
2012年秋から1年くらい
さらに、スピリチュアル業界の人脈が増え
全国各地に親しい友人ができた

そうしたひとたちと
親しくしているうちに
「問題に振り回される」のではなく
「問題からフォーカスを外す」ことを
重視するようになり
そのために
「問題よりも、もっと、健全にたのしいナニカ」
イベントや場や課題や…
そうしたものを提起するべく
「スペース風来房」や
「ムゲンジャー」を始めたのが2013年
秋には「オトナの文化祭」を開催

2014年はその流れで
石垣島の旅に始まり
札幌・横浜・福岡で
イベントやWSを開催
余白、ゆとり、あそびを説いたり、体感してもらったり
アートとスピリチュアルをつなぐ試みでもあった


余白、ゆとり、遊び

それさえあれば

ネガティブ思考をひっくりかえせる。

身体の違和感に気が付ける。

詰め込むことに慣れ過ぎて

効率と合理性を重視する価値観にはまりすぎて

抜け出せないのならば

止めろと言っても、止まるものではないなら

いま夢中になってるおもちゃより

もっとたのしいおもちゃがあればいい。

そんな考えに基づいて
イベントを展開してきたスペース風来房は
2015年春で休止とした。

イベントを重ねて
自分なりに出来ることは
やりきったと同時に
それはまったく満足のいくものではなく
自分の力量やポジションの見極めが進む

イベントをやるたびに
かなわなかった部分も
浮き彫りになっていて

「もっと、健全にたのしいナニカ」が
目の前にあったとしても
そこに手を伸ばせない
抵抗、遠慮、葛藤、恐れ
アタマをどんなに納得させても
カラダが動かない
ひとつずつ癒したり、観念を書き換えていたのでは、追いつかない
マイナスをゼロにする遊びに
時間をとっている場合ではなくて
その先にこそ、ほんとうにたのしいことがあるのに
その先に、個々人がやるべきこと、やりたいことがあるはずなのに

その歯がゆさは
しかし
いったん手放して
それぞれのプロセスに委ね

自分自身を整えること
自分とその環境を心地よく保つことを
第一の目的とする

おのずと放たれるであろう
その響きを
求めるひとがいるならば
集中的に効果的に届けるべく

愉氣をメニューにするが
いかんせん説明が難しく
キャッチーさがない

そこに舞い込んだのが、アクセスバーズだった。

言葉がいらない
目的もいらない
手を当てて、共に在ればいい
うってつけのツール

そんなナレソメ。

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