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ヤギ的みずがめ座によるアクセスバーズ

ゆじさんの自分の強みを知るシリーズより


水瓶座 A型 (太陽水瓶座 水星 山羊座)

本質的なもの、古き良きものや王道とされているものにご縁が深い傾向。
歴史的・伝統的ななにかを”新しいパッケージ”に包ませて、
価値観を一新させたりするプロデュース力・アンテナ力の高い水瓶座
https://ameblo.jp/uenopasiri/entry-12429643941.html

わたしが野口整体の流れをくむ
氣道協会で学びながら
アクセス(バーズ)を提供しているのは
ひとえにこの部分なのだと思う。

幾千幾万の臨床から導き出された野口整体と
チャネリングによってもたらされたアクセスバーズ

ヒトは『積み重ね』と『結果』を重んじる

アクセスバーズは
得体が知れないけれど
個々人に結果を残している

即座に改善したのでない限り
バーズの功績かどうか
定めることは難しいけれども

幾千幾万の臨床=過去に基づく
チャネリング=未知

猛烈なスピードで
インターネットありきな世界になっている昨今
こんなにも思考優位な
こんなにも視覚を酷使する状況に
置かれているとは
野口氏も予想できなかったのでは?

身体が全てを知っていること
身体を整えれば心がついてくること
意識がすべてを統べていること

そうしたベースを踏まえた上で

よりシンプルに
より手軽にカジュアルに
伝えるすべを探していたときに
見つけたのが、アクセスバーズ

ハンズオンヒーリングで
ベース(緩んだ身体)を作り
未来的とも言える思考
選択基準をインプットする

どんなに素敵な選択肢も
受け取れなければ
毒でしかない


愚痴)求めよと言われても

願望を書き出しましょうワークが苦手。

自分の欲なんかより
宇宙の意図を映写する
透明プロジェクターでいる方が
面白い風景がみられるに違いないと思って
ひたすらクリアリングに励んできた。

しかし去年あたりからか
「あえて、求める」
ということをやれ。と
言われ続けている

誰にって、宇宙に。と言えばいいのか
宇宙お任せ上映のサービス期間が終わったというか

求めることすらも
ゆるされている

誰かや何かを救おうとする必要はない
けれども、救おうとすることもゆるされている

なんのために?
たのしむために

もっとたのしいことを求めるなら
自分から働きかけなさい という感じ

まあしかしこれが
しんどくて
なんといっても
モチベーションが足りない

安穏として
退屈で平和で
そりゃもっとたのしいといいなと
しょっちゅう思ってはいるけれど

それだけではなあ

かといって
なんだったら動けるのか

我慢と緊張の蔓延した社会を
個人ベースでじわじわ確実に
変えていくため 

なんて大義名分もふとよぎるけれど

なんかたぶんもっと
小さいやつのほうがいいんだろう

この坂をのぼりきれば山頂
くらいの
シンプルなやつ

このまんま
なにもせずに
老いさらばえる自由も、ある

特段なにか働きかけることも
育てることもせずに
日々、青空と夕焼けと月を眺める暮らし。

それでもいい
生かされている
カスミを食べるでもなく
人間として暮らせている

退屈で持て余すあまり死を望みたくなったら
山でも歩けばいいわけで

そんなに難しくシリアスにならずとも
安穏としていればいい
罪悪感に駆られる謂れもない

毎日でもやりたいような
何としても死守したいような
好きなことは、特にないし
(強いてあげるなら飲酒か・・・)

できることを仕事にする
モチベーションも、特にないし

自分の能力、ポテンシャルを
発揮する場面を求めてはいるけれど
自分で舞台をしつらえるのは趣味じゃない

こんな自分を
あきらめて
許容して
飼い慣らすしかないのだ
少なくとも現段階では


以上、愚痴である。

愚痴は、変わらないもの
(相手、環境、待遇…)への文句。
どんなに不平不満を
よそに漏らしたところで
それらは変わらない。
そもそも自分以外のものを「変える」ことは難儀。
ならば、自分自身の受け取り方や
態度、立ち位置を変えるのが良策。

と、昨日の自分がツイートしているけれども

つまりあれだ
変わりたいけど変わりたくない
動きたいけど動きたくない
ということなんだろう。

呑気に愚痴っていられる境遇
愚痴は、平和の象徴なのかもしれない。

ワンオペ育児と社会の歪み

子供のいない既婚者であるわたしが
ワンオペ育児を起点につらつら考えた。

以下、昨日のツイートから

ワンオペ育児ってものすごい緊張続きで、
疲労が溜まるよなあ。無自覚に。
息抜く間もなく、寝ている間すらも、ずーっと続く。

ワンオペの孤独とプレッシャーって数値化したらすごそう…
共働きの方がその意味での緊張は少ないよね。
家にいる側だけに偏らないというか。
仕事での緊張があっても、お互い様で分かち合いやすい。
時間的ゆとりはないかもしれないけど金銭的ゆとりはいくらか増えるし。

そのプレッシャーだとか、
分かち合えない苦しさだとかは、
もっと気にかけられてしかるべきでは。周りも、本人も。

そもそも男性は、女性の抱えてるプレッシャーを理解しづらい。
生物の特性として女性は非力で、
生存を脅かされやすいという前提。
それなのにさらに弱い子供を
ひとりで守り育てるとか。無理ゲーでしょ…

サラリーマンと専業主婦の組み合わせで
育ったひとの多い自分たち世代の、
結婚率や出生率が少ないのは、
親を反面教師にしてるからだよなあ

なんだってこんなことが
まかり通ってきたかといえば
経済発展のためで、
おそらく敗戦の影響で。

しかしどっかで軌道修正しないとね。
それぞれの家庭から、小さくたしかに。
だれかの犠牲なしにまわらない社会なら、止まればいい。
社会のために人がいるんじゃない。人のための社会。

紅白がおもしろかった

紅白歌合戦
例年、飲み食いしながら見て
後半は寝ていることが多いが

目が覚めたタイミングで観た
MISIAがすごかったのと
桑田さんとユーミンの絡みが
実に、実に、かっこよくて

ちょっと情報をさらってみると
米津さんもなんだか評判が良さげで
一番オイシイところを見逃した感がすごかったので
録画を観てみた。前半も見直した。

とてもよかった。

いつも演出の細部が気になっても
流すしかなかったのだけれど
録画なら戻せる。これはいい。

そして今回の紅白はおそらく総合的に
とてもよかったのだとも思う。

なにが違うのか思い巡らしたところ
「紅白に出してやってる感」が影をひそめ
「出演者スタッフみんなで、視聴者をたのしませる」
そんな姿勢が感じられるような。

本来あたりまえで
まっとうにも思える姿勢だけれど
昨今のテレビ界、特にバラエティでは
すっかり歪んでしまっていて
制作側(スポンサー含む)の都合が
あからさまに優先されていたり
視聴者を見下しながらたのしませているようだったり

紅白がなぜそうなったか。
オットの見立てを借りると
うっちゃんを総合司会に採用したのは大きい気がする。
演出に絡むことを条件に引き受けたとしか思えない。

そもそも彼がNHKで冠番組を持っている事も
かつての印象からすれば
けっこう異色なことのような

香川さんの昆虫番組とか
筋肉体操、おげんさん
少し遡ればサラリーマンNEOとか
近年のNHKには
チャレンジ、遊び心があるような

視聴率のテコ入れで
苦肉の策だったのかもしれないけれど
それらが功を奏して
紅白に結実したのかもしれない

米津さんが直前で、中継でなら。と
出演OKしたことだとか

何より、北島さんの表情
ユーミンの乗り気っぷり

そりゃプロだから当然だし
見事なステージングで
ほんとすごかったんだけど
ほんとたのしそうで
とことんたのしませようとしていた

それを引き出すだけの受け皿が
NHK側にあったのではなかろうか

そういう姿勢、器、気持ちの部分は
どんなにカモフラージュしても伝わるものだ。
相手が一流アーティストならなおさら。

平成最後だから。というのが
きっかけであり
追い風だっただろうか

いいものを作ろう。
シンプルなその姿勢が
制作側と出演者の掛け算をもたらした
そんな風に思える。

カメラワークがグダグダなところがあったり
司会が言えてなかったり
審査員紹介が省かれたり?
アラもあるにはあったけれども

幅広い年代に向けて
いま話題のカルチャー
アーティストをはじめ
ダンサーやマジシャン
アニメやゲームまで含めて
満遍なく(無理矢理にでもw)
盛り込んで、1年の総集編に、
そして平成の総まとめから
来年以降への架け橋を目指してた。

よいもの観たな。と素直に思う。
ありがとうございました!


‪追記。
キーを下げるのは賛成派です。
曲の持ち味と、歌声の持ち味が
最大限にでる音程は、
変わらざるを得ないと思う。‬

闇の扱い

大きな成功をするひとは
エネルギー総量が多い

比例して闇も深くて大きい

その闇を
闇のままにするのか

闇のままに
身内に
他人に
ぶつけるのか

それとも
適切な処理や
はけ口を見つけるのか

たとえば
タバコはおそらく
闇を相殺するためだし

バトルのあるゲームでは
嗜虐性を発揮できる

闇を闇のままにしか
使えないうちは
成功は長く続かないだろう

闇はなくならない
光とセットなのだから
なくそうとしない
しっかり認めて抱えていく
ゆえにひとは優しくなれるのだ

確信に変わる時

自分が
漠然と
ぼんやりと
なんとなく
感じていることを
信じるのは
とても孤独。
それでも
ないがしろには
できない。
信じて
確かめて
繰り返し
確かめて
研ぎ澄ませていく。
外界から
それが
やってくるのは
臨界点に
達した時なのかな。
現実化。
答え合わせみたいで
とても救われる。
泣けてきたりする。
ほっとする。

頭は天に、足は地に。(4年目のアクセスバーズ)

頭は天に、足は地に。

オーラソーマ・イクイリブリアム B065 の名前。

初めてコンサルテーションを受けた時
選んだ(キネシで)のがこれだった。
何本目だったかは忘れたけれど
この名前は時々思い出す。


アクセスバーズがついに
メジャー雑誌に掲載されたという。
エル・ジャポン12月号
「私たちの”ヘル活” AtoZ」の、Aとして。

それを知った昨日は
はじめての場所で
はじめてのイベントバーズ

自分で主催する形では
初期に2回ほどやっているけれど
人様のイベントに、バーズで出るのは、初。

普段は講座などをやっている
レンタルスペースのオーナーさんと、
出店者でもある友人が
訪れるスペース常連さんたちに
バーズの良さを伝えてくれる。

すでに信頼関係のある
顔見知りから伝わる情報ほど
力のあるものはない。

わたしが百の言葉で表しても
まったくかないようがない。

わたしの直接の知人は
だから、わたしの言葉と行動で
バーズに興味を持ってくれたのだ。

その、もうひとつ先に。広げたかった。

一部では、すでに、
その先が現れていたけれど
あとがなかなか続いて来なくて
ほとんど諦めかけていたところに

「あと」が、やってきた。
しかも、目の前で展開した。


わたしが届けたかった
日々を懸命に暮らす
「普通の女性・お母さんたち」が
なんだかわからないままに
仰向けに横たわって
施術を受けてくれて

20分後、蒸気した頬に
ぱっちりした目で、起き上がる。

ああ。そうだった。
これが、バーズのパワフルさ。
忘れかけていた。
慣れてしまっていた。

たったの20分。
さわりしかやってない。
それでも。変化が体感できる。

だんだんリラックスして
おしゃべりしたり
日常でできるケアを伝えたり
静かな時間を味わったり・・・
かろやかな面持ちで、帰っていく


わたしにとってバーズは始めから
コミュニケーションのきっかけ
伝えたいことを
伝えたいひとへの
目印の旗、でもあった。
それを探していて、出会ったツールだ。

それが、はじめて本格的に機能した!

3年半、コツコツ続けてきてよかった。
これだ!と感じた自分の勘を
信じてきてよかった。

ボディプロセスや上位クラスに
次々参加する人たちを横目に
バーズだけをやってきてよかった。

バーズだけでも、
これだけの効果があると伝えられる。
あれもこれもやらなくていい。
増やさなくていい。
一度習えば、家族に、友達同士で、いつでもできる。


あまりに感慨深くて
帰り道、しみじみ泣いた。
おいおい泣いた。そして

地に足をつけてきて、よかった。

そう湧いてきた。
そうか。それ、頑張ってたのか。


バーズの世界観は宇宙的で
思考を休ませ、ひらめきに任せる
その状態はさながら、頭は天に。

けれども、浮世離れした
ハイテンションな
あきらかにミラクル満載な日常を
目指すことはしない。

日々の炊事家事を丁寧に
与えられた仕事をひたすらに
何気ないすべてが
これまでの日常すべてが
いつだってミラクルなのだと

なにひとつ暮らしを変えないまま
ミラクル満載な世界にいけるのだと

伝えるには。

わたし自身が、そうであること。
それ以上に説得力のあることはない。

たとえ言葉にしなくても
言葉そのものが届かなくても
そうした「意識」や「状態」は
伝わっていく。言葉以上に。

だから、足は地に。


エネルギーの世界では
光の速さで実現することが
肉体の世界では
牛歩どころか
蟻の歩みほどに感じられる。

意識の変化が
現実になるまでの
タイムラグに
どれだけ耐えてきたのか

解放されて、気がつく。

バーズにこだわり続けてきた
自分を、心底、称えた。


バーズに出会ったのは2015年4月
革新の星・天王星が牡羊座の終盤にあり
土星は蠍座の終盤

2011年から自分の在り方を探りつつ
意識エネルギーと身体性の相関を
探求し、土星蠍でさらに深まり
その頃に出会った人たちとの
様々な関係性から求めたものが
結実したのが、バーズだった。

2015年9月、土星が射手に入り
つい先日、木星が蠍から射手に。
まさしく、探求を終え、飛び立つ頃合い。

今年5月に牡牛座入りした天王星が
来年3月まで牡羊座に戻っているタイミングは
藤沢に引っ越して
フットワークが軽くなり
バーズへの気負いも期待も
程よく抜けたところでの、広がりといえる。


やはり叶うことしか、願わないのだ。
そのタイムラグに、どれだけ耐えられるか。
どのようにたのしんで過ごせるか。
自分を信じていられるか。
これは、蠍の置き土産のようだな。

この数年やたらめったら
時間の経過を遅く感じていたのは
エネルギー世界の感覚でいながら
肉体世界を生きていたからなのかもしれない。

入れ込む

他者との間に
ネガティブ転移が起きて
ディスられることについて

最近の仕事では発生しないか
しても気がついていない可能性大

しかしプライベートでは
何回か、発生している
小さなものはスルーした上で
自分をクリーニングすれば済むが
大きなものだと年単位でパターン化していた

母性のようなそぶりで
相手の心理に介入する悪癖

お互いの役割とはいえ
相手の方には
申し訳なさと感謝と・・・

他者へ入れ込む習性は
もっと平和に活用したいところ

できれば他者を巻き込まずに
違う方向で使いたい

まな板の上の鯉に手を出さない
据え膳を喰わない
入れ込み過ぎない

そのためにも
健全なエナジー循環を
日頃から心がける

仮に相手の(暗黙の)賛同があったとしても
自分の力をはかるかのように
相手に関わる無礼は避けたい

他者との関わり全般に
そういうキライがあることに気づいている
そんな自分にうんざりもする

仕事として成り立っている上で
転移が発生している方が
関係性としてはずっと健全である

力の使い方
使いみち
使いどころ
尽きることのないわたしの課題

他人を信じるとは

他人を頼ることができず
なんでも自分でやってしまう

他人を傷つけないよう
荒立てないよう
自分さておき
場をなごやかにする

どちらも他人を信じられていない

それはひいては
「身体の叡智」を
信じられていないということ


みずからの肉体の
他人の肉体の
それぞれにある
それぞれのための叡智に
誰しもがアクセス可能で

その叡智こそが
すべてを担っている

傷ついても
傷つけても
振り回されても
振り回しても
その対処法も癒し方も
その理由や目的も
身体がぜんぶ知っている

そのことをじぶんが身をもって知っていたら
他人も肉体をもっている以上は
それが可能なのだと
そこに委ねていいのだと
信じることもできるように思う


幼少期から
他人と違う感性で
社会に違和感をもって
生きてきていると
他人を信じることは難しい

じぶんと同じように
対処が出来るとは思えず
じぶんが、かぶってしまう
引き受けてしまう

他人に振り回されることも
他人を振り回すことも
躊躇する
億劫になる

ひどく傷ついて
ひどくくたびれていて
肉体への不信感がぬぐえない

なにか慢性的な持病があれば猶更だろう

肉体とじぶんが別の生き物のような
肉体はまるで他人のような
そうした感覚かもしれない


思考が現実をつくる
現実が観念をつくる

このサイクルは
変えられる?
どうやって?

夢メモ

明け方、猫のエサコールで起きてから
また1時間ほど寝た時に見ていた夢

母と妹と私で作文の授業に参加している
母は妹につきっきりで
私はちいさな郷土菓子を並べたり積んだり
授業そっちのけで遊んでいて
講師に怒られるが、理不尽だと思う
作文の準備にそんなに時間をかけなくたって
書こうとおもえばすぐに書けるのだ
あとでいくらでも追いつく
かったるい下準備になど付き合いたくない
そんなような感じだった
そうこうするうちに妹が体調を崩し
ちかくのスパへ療養しに行くという
いちど家(実際の家とは違う)に戻り
支度をして、出かけていく
母はやはり妹を心配そうにみている
父(容姿は実父とちがう)とわたしが
なぜだか、諍いになる
羽交い締めにされ
触るな気持ち悪いと叫ぶ
抜け出し、窓枠にぶらさがり、
迫ってくる父の胸のあたりを
両脚で蹴り返している

そんなような夢
体感がとてもナマナマしかった

社会の理不尽さにくたびれて
動けなくなっていた頃のことを
この数日、思い出していたから
おそらくその象徴としての、講師や父なのだろう

浅い眠りの夢に出てきたということは
当時のエナジーが浮上してきたのだろうな
夢として体験することでおそらく昇華できているだろうが
念のためクリアリングもしておいた

星読みブログをみたら
キロンがまた魚座にはいったところらしい
もう記憶も感覚もうすれるくらい
遠い過去になった痛み

あらがったり、叫ぶということは
当時のわたしには出来なかった
じぶんに言い聞かせてなだめながら
愚痴をいうのがせいぜいだった

真っ向から戦える健全さが
じぶんのうちにあってよかった

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