カテゴリー「恋愛」の記事

相手という鏡にうつるのは

愛したい。のホントのとこ」で
男性が叶えようとするのは
女性の「無意識の願い」だと書いた。

家族やパートナーなど
身近な存在には
「じぶんの無意識」が表れやすい。


たとえば
お菓子を食べているときに
「食べ過ぎだからやめろ」と家族に言われる。

そのまま素直に聞いたうえで
やめるなり、食べ続けるなりできる場合には
発言者の問題(なんらかの観念に基づく介入)かもしれない。

わかってる!と反発したなら
内心「食べ過ぎかな・・・」と感じている
じぶんの一部を、相手が代弁しているかもしれない。


家族がしつこく言ってくる忠告は
自分がないがしろにしている
自分の願望だったりする。

お菓子の例でいえば
こころゆくまで食べたい気持ちと
健康に配慮して節制したい気持ちは
どちらも持っているものだ。

両方に自覚的であるならば
どちらでも選べば良いが
どちらかを見落としていたり
あえてないがしろにしているのなら
一考する価値はある。


同様に、家族から投げかけられる
まったく思いがけない見解も
じぶんの無意識を知る助けとなる。

お菓子をそんなに食べるってことは
なにか不満があるんじゃないのか。
などと言われたとする。

そんなことはない!と
反射的に、本心から、思ったとしても
よくよくじぶんの内側を探してみると
不満が見つかったりするのだ。


身近な相手のことを
自分をコントロールしてくる人間だとか
頼りにならない人間だとか
理解のない人間だとか
「自分の味方ではない」と感じていると
相手の言動は、妨げにしかならない。

そうした「相手への観念」は横に置いて
「自分の無意識を表す(かもしれない)鏡」
タロットやオラクルカードのような存在として
相手の言動を、利用してみる。

自分が気がついていない自分の願望、欲求
自分が見落としている可能性
そのように扱い
精査し
取り込むことで
自分の幅が広がっていく。
自分への理解が深まる。

相手の言動を
「相手との関係性」ではなく
「自分と、自分の無意識の関係性」を
深める材料として使う。


相手の言動に
感情的に
反射的に
応じているあいだは

もたらされている
新たな可能性に対して
閉じているといえる。

たんなる「情報」として
フラットに扱うことができれば
選択肢が増える。


他者という鏡を使って
「未知の自分」を見つめ
受け入れていくのは
簡単なことではない

ずるい自分
よわい自分
みっともない自分
いろいろ出てくるけれども

「気づいていない自分」への
理解を深めようとする姿勢は
「自己信頼」へとつながっていく。

他者や出来事へ反応が起きたときに
自分の内面をしっかり見る

なにがあるのか
なにが起きているのか
なにを求めているのか
しっかりケアする

それをコツコツ続けることは
自分自身への本気のコミットのあらわれであり
最上の自己愛のかたちなのかもしれない。

そうして癒され
満たされていくことで
他者の存在を使って
自分を満たす必要がなくなり

コントロールしたり
されたりという関係性は
生じにくくなる。

コントロール/複雑な関係性

今日も友人のブログから。

他人になにかお願いするときに
気遣いが過ぎて
コントロールが生じてしまう話。

https://ameblo.jp/eisei-boro/entry-12345466728.html

具体例の会話がたいへんわかりやすいので
ぜひ原文を読んでほしい。


このなかでさらりと出てくる

「コントロールの場にのらない」

じぶんからコントロールを生まないのも大事だが
相手のそれに乗らないのも、ほんとうに大事だ。

需要がなくなれば供給は途絶える。


コントロールする側は
無意識のことが多い。悪意もない。
家族由来のパターン、慣習、本人のもつ傷などから
自動的に行われる。

相手の罪悪感や情を
刺激することで成り立つ
取引的な関係。

優位であろうとして
関心を得続けようとして
関係性を維持しようとして
それは繰り返される。


コントロールされる側は
恐れや怯えから
その関係性に留まるけれども
傷つき、苦しみ、つらさを感じる立場ゆえ
なんとかしようともがくなかで
その関係性、からくりに、気づきやすい。

奪い奪われる関係性に気がついたのなら
相手が変わることや
奇跡が起きることを待たずに
自己憐憫や
被害者意識にとどまらずに
みずから、その場を抜けたほうがいい。

物理的に離れることや
精神的に境界線を保つこと

相手の求めに応じないこと
相手の問題を切り離すこと


そうしたことが
わかっていながらも
出来なかったり
繰り返している場合には

相手のやり方をゆるすことや
相手の支配下にいることで
相手より上に立とうとしている可能性がある。

そうした言動を
無意識にとり続ける相手を
かわいそうなひと、
不器用なひと、などと
下に見ていられる。

表面上の関係性では
コントロールされる側だけれども
意識的には優位なのだ。

負けてあげる、という勝ち方。


いずれにしても
どちらにとっても
「関係性を変えないこと」が
最優先されている状態といえる。


わたし自身、コントロールする側だったことも
される側だったこともあるが
(正確には、そう思っていたことがある、ということ。)

相手のことを「相手」だと思わず
「自分の一部」だと捉えることで
このからくりに、はまりにくくなった。

次の記事にする。

他者を満たすメリット

前の記事: 満たさないメリット
http://moana.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-d5ed.html

これは逆パターンもある。

他者を世話することで
自分を満たすのだ。

相手を欠けているもの
満たすべきものとすることで

自分のことは見なくて済む
または、相対的に満たされているように感じる

前記事でも書いたように
これは双方の(無意識の)合意ありきで
どちらがいい、悪いではないし

完全に無くすことを
目指す必要もないと
個人的には思っている

行き過ぎれば共依存とよばれるものになるが
時折ある分には、持ちつ持たれつでいい。

しかし、「無意識に」「反射的に」
それが「起き続けている」のならば
見直す価値はあるとおもう。

他者の存在ありきの在りようは
どうしても、弱くなるから


土星が山羊座に入っている
2020年までの期間
多くのひとが
自立と依存について
見直すことになるのではないかと思う。

わたし自身まだまだ
波風立てないことを無意識に
優先していることがある。

その場しのぎにはなるが
長い目でみれば
不調和となっていくもの。

「真の調和のための忍耐や努力」
これを身につけたり、加減したり
きっと、そんな期間になるのだろう。


満たさないメリット

じぶんで出来ないこと
無理なこと
やらずにいたいこと

それらをやらないでいたら

誰かにやってもらえる
かまってもらえる
気にかけてもらえる
特別扱いしてもらえる

そんな経験をしたら
そんな出来事を見たら
そりゃあ、やらずに済ませたくなる


だれかに気にかけてもらうのは
子どもにとって死活問題
手段は選ばない

子どもが風邪をひくのは
親の注意をひきたいとき
(愉氣を欲しているとき)
そんなふうにも言われている

もちろんここには双方の意向があり
気にかけてもらおうとするのは
だれか(保護者等)の潜在的な
気にかけたい(世話したい)気持ちに
応えようとしているところもあるだろう。


いずれにしてもこれはあくまで
「子ども」の話なのだが

欠けた状態を保つことで
他に満たしてもらおうとする
子ども時代の習性が
無意識に入っていると
大人になっても繰り返す。無意識に。

あえて、じぶんでじぶんを満たさない。
だれかの助けありきなじぶんでいる。

被害者意識、無力感
病気、怪我、事故
無知で通す姿勢
お金に困る状態 等々
(言わずもがなこうした事象のすべてが
他者の気をひくためではない)


やってもらうこと
かまってもらうこと
気にかけてもらうことで

自己価値をはかり、安心する
じぶんの存在意義を、他者に委ねている

他者ありきの、その土台は
どんなに堅固にみえても
なんど塗り重ねたとしても
脆弱性から逃れられないことを
本人の真実は、知っている


愛したい。のホントのとこ

「すべての男性は
愛したい生き物だ
女性に、尽したいのだ」

そんな言いまわしを
近年、よく見聞きするけれども
これは詭弁というか
説明不足で
それゆえに
ほんとうのところをわからず
鵜呑みにしているのも、よく見かける

以下、あくまでも私見だが

男性の「愛したい」「尽くしたい」は
パートナーの「無意識の願いを叶える」
というかたちをとることが多い。

「無意識の願い」であるため
口ではどんなに「尽くされたい」と言っていても
無意識レベルで「尽くしたい」と願っていれば
相手は「尽くすことを要求する男」となる。

自分が変われば
相手が変わる
といわれるのはこのためで

しかし自分がいくら変わったところで
相手が「自分の思い通りに」変わるとは限らない。

相手のキャラは変わらずに
相手との関係性が変わることもある。
(相手から自主的に離れるとも限らない。)

広大で深淵な無意識には
いろんなレベルの「願い」があり
相反するものもあるだろうし
短期的なのも、長期的なのもあるだろう。
真の願いにたどりつくために
片付けなければならないものがあれば
そちらの願いが優先されるだろう。

いずれにしても
冒頭の
「愛したい」や
「尽くしたい」を
じぶんの固定観念、価値観、
あるいは一般常識にのっとって
解釈していては
いつまでも腑に落ちないと思う。

ヒントは目の前にある。

たとえ愛にみえなくても
尽くされているなんて思えなくても
その男性は、すでに、愛しているし、尽くしている・・・

今ある現実を、そういう視点で見てみること。

そこから、じぶんの無意識への
手がかりを見つけることができる。

また、どうしても「その愛のかたち」がいやなら
関係性を変える選択をすることもできる。

「すべての男性は
愛したい生き物だ
女性に、尽したいのだ」

間違いではないが
説明不足だと感じるため
説明したらずいぶん長くなった。

たのしいほう

オットと再会して交流が深まった頃
結婚する見込みで付き合ってた元カレと迷って

たのしそうなほうを選んだ。

予測がつかないほうにした。

そしたら脱サラ画家になった(笑)

 
たのしいことになるのは
決まってるんだよ

疑わなくていい

予想外のことは起きるのだろう
心臓がとまるくらい驚くこと

びっくりして
うれしくて
こわくて
くたびれること

そしてまたそれにも慣れていくのだろう

結婚とエンパス/憑依

前記事で書いた、結婚の本質

パートナーという他人を、自分ごととして、
まるっと引き受けること は

つまり、パートナーシップの本質であり
自分と他者 の 関係性全般に
言えることのようにも思う。


それはひいては
みえない存在に対しても
言えることかもしれない。


わたし自身が数年前に
わたし由来とは思えない
男言葉が腹の底から出てきた経験があり

それはのちのち
どうやら、父の無念ではないかと
思うに至ったのだけれど

エンパスやHSPを自認するひとであればなおさら
身近なひとが抑圧している感情や衝動を
じぶんのものとして抱えていることは多々あると思う。


ここではないどこかに逃げたい、帰りたい願望なんていうのも
ショウカされずにただよっている誰かの感情かもしれない。

たとえば丁稚奉公、身売り、出征、疎開、出稼ぎ、単身赴任、、、
言葉にすることはおろか、思うことすら
みずからに禁じてきたひとは多かっただろう。


そうしたものを
みずからに取り込んだ目的はなにか。

それをショウカすることに
自身のメリットがあるはずだ。
(アタマはそれをメリットとは呼ばないとしても。)


じぶんのものではないと切り離し、
他者へ任すことで、胆力を鍛えたり

じぶんが引き受けることで
あらたなちから、可能性を得たり


使えるものは、使えばいい。
使われるために、それは、ここに来ている。


そんなつもりではなかった。
なにかの間違い。などと
言い続けたところで
それがすでに起きているのならば

それは、じぶんに与えられたもの。

「じぶん」の未来のために、ここに来たもの。

逃げ腰でいたら消耗するだけ。
どんなに厄介なものにみえても
まごうかたなきギフトのはずだ。

結婚の本質

(2015/07/08のTwitterより)

結婚の本質は
パートナーという他人を、自分ごととして、
まるっと引き受けることじゃないだろうか。

ここでの引き受けるとは
我慢でも支配でも隷属でもない。

どこまでも対等に、
時に取引をし、時に支え支えられ、
タッグを組んだり分担したり。

共通の理念をかなえるチームメイトだ
(太陽水瓶座的思想w)


団塊世代の結婚は、表向きはそうではなかった。
親世代とは異なる関係性を築いていく。
(親世代もまた、祖父母世代とは異なるかたちを築いたのだ。)


引き受けることがもたらすちから、可能性。
この面白さを知らないで終わるのはもったいないなあと思う。


自分ごととして他人を引き受けるってことは、
投げ出さないってこと。

かたちとして別居や離婚を選ぶことがあったとしても、
そこに信頼があること。見守る。ともに行く。

相手の尊厳は、つまり、自分の尊厳。
相手を貶めず蔑まない関係性を築き続ける。

永遠の片思い

独占欲

嫉妬

求めてやまない注目や承認や受容


それは永遠に得られない

ファザコンは死ぬまで治らない


ほんとうはいつだって

思っているよりはるかにたくさん

得られている


思っているのと違う形で。

オトコとオンナ2

提案しても却下される。
好きなカフェ
気になるイベント
おもしろい本
ことごとく、関心もってくれない。
それはつまり
わたしのことなんてどーでもいーんでしょ?

っていうのも
オンナによくある思考パターン。
わたしもやってた。

オトコは見てること
大事にしてることが
オンナとは違うから

いまそれを採用するのは
得策じゃない、と思ったら
問答無用で、排除する。

これが意識的に行われていれば
なんで?ときいたとき
納得いく理由がかえってくるけど
大半は、無意識でなされてるんだなこれが。

だから、だって興味ない。とか
今日は気が乗らない。とか
メンドクサイ。とか
ろくな答えが返ってこない。

オンナはイマココの幸せがいちばん大事。
オトコはライフパスのトータルをみようとする。

得策かどうか、の、判断スケールが
オンナよりずっとおおきい。

そして、なにをもって得策としてるかといえば
「守ると決めたオンナの幸せ」
それが自分の幸せで、プライド。

この感覚はオンナには無いから
理解しがたい。
にわかには信じられない。

感覚ないのはアタリマエ
身体のつくりが違うんだもん

だから、わかんなくていい。
そういうことなの?って
検証を重ねてみて。
そういうことだった!って
言わざるをえなくなるよきっと。
わたしがいま、そう言ってるみたいに。

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