母になるということ
周期37日目にてリセットしました。
今回は、あまりがっかりしていない。
どちらかというと、ほっとしているかも。
さいきん思うのだ。
母になったら後戻りできない。
母でない自分を満喫しようって。
きっとわたしは
命をさずかったと自覚した瞬間から
自分が死ぬまで
「こども」を忘れないだろう。
たとえ流産・死産でも、中絶しても、
早くにこどもが亡くなっても
痴呆になっても
「母ではない自分」には二度と戻れない。
そういう意味では
とても宿命的なイベントなんだなあ。
人生には選択できるものと、できないものがある。
たとえば顔や血液型、生みの親
こどもを授かるタイミングも
選べないものなのかもしれない。
避妊とか不妊治療とかで
選んでいるつもりで
実は、選べていない。
こどもを望んでいるのに
授からないのは自分に非があるような
思惑通りに授かっている人たちに比べて
なにかが劣っているような
ずっと、そんな気がしていた。
自分をゆるさなかった。
理由が欲しくて
授からないことを何かのせいにしたくて
ゆるさずにいた。
"母"のようにふるまうこと
だれかの世話をやいたり
かいがいしくしたり
それは、わたしにとって
とても安心する
その反面、とてもつかれること
やさしくありたい
気付く人でいたい
そうすれば、「自分はちゃんとしている」と思えるから
嫌われないと、思っているから
「だれか」を想定した言動は
風船みたいに
かるくて、脆くて、
どんどんしぼんでいく
"母"になりたいという想いの影に、
子どもがいれば一人前とか
"母"をやっていれば安心とか
「だれか」を描いている自分がいる。
いつか
自分のためだけの自分で居られるようになりたい。
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